言語の湖床 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

今日は受診の日でした。

自分の視察が終わって薬の順番を待っている間に、近所の公園に花見をしに来ました。

 

昨日が雨降ったのに、鳥取市の桜は粘る粘る。まだまだきれいに咲いています。でも、今年は今日で最後でしょう。

明日からはもう散り際。なので名残の一人花見をしてきました。

 

本当は子供たちと弁当持って出かけたいんですが、鳥取市は花の頃でも雨が多く寒い日がほとんどなので、

なかなか外で昼飯という分けには行きません。だから花見は毎年一人呑みです。これはこれで嫌いじゃありません。

 

昨日の昼間、

さすがに神経が参ってしまって絶好調一人遊びに飽きた次男を背中に乗っけて、カーペットの上で腐っておりました。

 

ええ、それはもう真実腐っておりました。

体が微生物に分解されていく音が聞こえてくるようなのです。

 

あ~土に帰って行くなあ、と思いながら半分ねむってどろどろした塊になっておりました。

 

こういう時私の言葉は生まれ出るなと思うんです。

まるで言語の湖床に沈んだみたいな気持ちになるのです。

 

私は泉という名前ですが、私の言葉が湧いて出るところはけして清水口ではないように思います。

こういう池の底の泥の中の間欠泉のようなところからぶくぶくと泥まみれになって浮いてくるのでしょう。

 

そして水できれいにすすぐことによって本来の形と働きに目覚める。

ここで使う水の量が問題なのであって、あんまり洗いすぎると本来の色が失われてしまう。

 

と、

いうような半夢を見ながらどろどろに腐っておりました。

死んだら土になりたい。

私は死んだら体は燃やしてもらって灰は海にまいてもらってそれから海底に沈んでその中で泥になりたい。

 

春の夢、泥に沈む夢。

昨日から書きたい書きたいという欲求が激しくなってきています。桜が咲くころになると、私はこんな風に心がはやって仕方が無くなるのです。

 

で、

藤や桐が割いても同様に。

更に言うとアジサイが咲いても同様に。

 

生物の営みは結構私の神経に余波を与えるようであります。