人形芝居小屋を抱えて、あちこちでキャンプ生活をしながら、祭りや路上で人形芝居を子供に見せて、それで生計を立てているんだ。
そんな空想をしながら眠っていた。
不思議とそんな時は良く眠れた。今頃お父さんは夜遅くまで、新しい演目のための人形作りに追われていて、いそがしいんだろうな。だから家に帰ってこないんだろうな。そんなことを考えていると、一人で居ても良く眠れた。
実際には僕は非嫡出児なので、父親なんてものは初めからいない。母は自分の父であるところの人物と関係を解消した後で妊娠に気づき、一人で育てようと決心したのだという。
父なる人物のことは、だから何も知らない。僕は私生児だ。
しかし子供時代の空想と言うのは不思議なもので、中学を出た後僕も本当に旅回りの大道芸人になってしまった。
たまたまイベントでパフォーマンスをしていた人に頼み込んで弟子入りして、基本的な技術を教えてもらった。
僕は3年、その人の下で、食事だけは食べさせてもらいながら、丁稚奉公みたいなことをしたのである。
時々、なんで僕はこんなことをしているんだ? と思いながら眠る夜もあった。師匠はショーで得た報酬で酒を飲んで一人で勝手に眠ってしまっている。僕は師匠の荷物運びをしたり、衣装の管理をしたり、その合間にジャグリングの基礎を教わって、出来ない時はせせら笑われた。
僕は一体こんなところで何をしているんだ? と思っていた。子供の頃描いていた、父の妄想はもう跡形もなく消えていた。なのに、どうしてその空想をまだ追い続けようとしているんだろう。
高校まで進むお金が無かったから、と言うのが大きいが、どうにか人に見せられるパフォーマンスが身につくまでの3年間、僕はむなしく自問自答して、答えが帰ってくることは無かった。
今は大阪を中心に、あちこちのショッピングモールや地域の祭りに出かけて行っては、僕はジャグリングを見せて生計を立てている。
大阪が中心なのは初めてパフォーマンスライセンスを取ったのが大阪市だったからだ。だから僕は今日も大阪城公園のイベントに参加して、いくばくかの収入を確保した。
大阪でライセンスを取ったのは、大阪城公園のパフォーマンスが勢い盛んだったのと、最近はめっきり減ってしまったが近隣に路上生活者が多くて野宿のテントを張りやすかったからだ。
僕は基本テント生活をしている。母親が生まれた街が本籍地ということになっているので今でも住所はそこに置いている。自治体にライセンスを請求するときはそこを書く。でも住む所は無い。テントだ。
一仕事終えた僕は荷物を抱えて公園の隅にテントを張った。
10年くらい前までは、ここに来ると、おう、兄ちゃん、帰って来たか、なんて迎えてくれるおじさんやおじいさんが大勢いたんだけど、今は市の方針で多くが自立支援施設に入ったり、あるいはどこかに四散してしまった。
僕はそのことを、仕方ないことだとは思うけれど、でも、かなり、さみしく思っている。会えなくなる人が居るということは、さみしいことだ。
では何故僕は旅を続けているんだろう、とテントの中でラーメンを食べながら僕は思う。ショーは一期一会だ。
二度と会えない人に会い続けるために、何故僕は旅を続けているんだろう。
まだ固いラーメンを啜りながら僕は考える。
多分、僕には始まりが無いから、終着地もないんだろう、そう、自分では結論付けている。僕の命には始まりが無い。だから終わる場所もない。根を下ろせる場所がこの世にない。だからこそ探し続けている。
人は、無いものを見つけたら探さずには居られないものだ。だから僕も探している。
今日も僕はテントの中で一人で眠る。空想する代わりに、明日と明後日のショーでもらえる報酬を持ったら、次はどこに行って仕事を探そうかな、と考えながら。
※注・タイトルは、ミヒャエル・エンデの同名の小説からパロディしました。