私は今粉々に砕け散って浮くでもなく沈むでもなく
雲になるでもなく霞を為すでもなく、
形を獲るでもなく意味を持つでもない、
言葉の残骸の中を、間抜け面引っさげながらのこのこうろうろ歩いています。
私の言語は完全に叩き折られてしまった。その、粉々になった残骸が、まだ私の周囲から離れずに、曖昧な姿をさらし、只そこにある。
それは影のように不確実であるし、
煙のように不誠実でもある。
とにかく私の言語は死んだんである。昨年一年間書き続けて、締めくくったときの私の感想です。
そして私はその死の残骸の中を、元の言葉だったものたちにひたすら呼びかけながら、間抜け面を引っさげてのろのろと徘徊している。
魂呼ばい
という風習が古代のアジアには在ったそうだ。
人が死ぬと、本当にその方が本当に亡くなったかどうかを確かめるために、魂に呼びかける。
その名前を。
むろん返事はない。
だから残された人たちはその方がこの世から姿を無くしたことを納得するのである。後に残される人間たちのために生み出された風習でしょう。
そして私は自分の言葉の魂だったものの残骸に向かって、猶も呼びかけ続けている。
生きる気があるなら自力で蘇ってこい。
まだ生きようとする気がある奴だけが、自力でこの世に舞い戻ってこい。
そう、自分で殺した言葉に呼びかけ続けています。
返事はありません。だから私はまだタマシイヨバイを続けることでしょう。
この無為なる霧の中から再び新しい生命が産くまで。
そしてそれが、今年書く大切な中編になると信じています。