小説「青い柿」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

青いままで終わる柿は無い。

しかし枝に残ったまま熟れた柿は烏につつかれて御仕舞だ。烏も見向きしなくなったような実はそのまま朽ちて地に落ちていく。

そんな、地面にぼとぼと落ちたような自分の生活に、このごろ私は堪らないものを感じていた。地に落ちて、百足に食い荒らされるような、蟻にたかられるような、そんな生活を、自分ではどうしようもないことに、私は芯から疲弊していた。

 

私の生まれた家は貧しかった。

そのせいかどうか、私は自分が将来職業的に成立するとは思えなかった。大金を手に出来るような職に就けるとは思っていなかったのである。

私はきっと生涯わずかなお金だけ手に取って、それで一人きりで生きていくんだろうと思っていた。

しかし若さというのは時として盛大な妄想を呼び込むもので、私は自分が青い柿だと思っていた時期がある。

 

今に赤く熟れるだろうと思っていた時期がある。そんな時私は何を夢見ていただろうか。赤く熟れて、枝からもがれて誰かの手に取られる日が来ると、そんな夢を見ていた時期があったのだ。

私は誰かの手のひらの上に落ちたいと願っていた。

 

願うだけで何もしなかった。しかし私は願っていた。たなごころの上の感触というものを味わってみたかった。それはいったいどんな場所だろうか。

 

私は学校に通うことが出来なかったので、十六歳から簡単なアルバイトを転々としながら今に至る。

今では老人ホームの入浴時に利用者を介助するというアルバイトをしている。介護学校の生徒さんがバイトでよく入る仕事なのだ。

私は学校に通えないので介護の資格が取れない。だから、フルタイムで働くことが出来ない。一日に3時間ずつ、老人をお風呂に入れる仕事をしながらどうにか日々を生きている。

 

私は願うだけで何もしなかった。

しかし私にいったい何が出来ただろうか。何の能力もなく才覚もなく、何の展望もなくただお金もないだけの目だたない若者の私に何が出来ただろうか。

私には自分を変えるために何かを考える力が無かったのである。そんな気は全く起こらなかった。

 

それでも私は自分が青い柿なのだと思っていた。

老人ホームの裏手の、ゴミを出す出入り口のところに柿木が立っている。私はバイトが終わるとそこから外に出て家に帰る。私はバイトが終わったら家に帰る。ただ、それだけの毎日である。

 

柿の木には今実がたくさん成っている。誰かが目的を持って植えた木ではない。だから実をもいで食べるという人がいない。

私はゴミ袋の脇から外に出て、その柿をじっと眺めていた。

 

大方が、熟れて、血のように赤くなって、垂れ下がっていた。

 

私は自分が青い柿だと思っていた。いつかは熟して誰かが取り上げてくれると思っていた。

しかし私は今このぐずぐずの柿の実を眺めて、ああ、君は私だ。そう感じている。

 

私は熟して、熟しすぎて、だらだらただれ落ちているこの赤い実と同じだ。ただ枝にわだかまっていて一生を遂げるだけの、無意味な一個の果実だったのだ。堪らなかった。

 

何かのお腹を満たすわけでもなく、誰かに顧みられるわけでもなく。

私は仕事着が入っている鞄を肩にかけたまま呆けて柿木を見ていた。自分の現身のようなその木を見ていた。

 

そして、来年も再来年も秋は来るのだ。そう思った。そのゆるぎない現実を思っていた。

私は来年も再来年も生きて、そして年々だらだらと腐っていくのだろう。枝から落ちることも出来ずに、誰かの手に落ちることもなしにして。私は生きていくのだと思った。

 

私もいつかは熟す時が来るのだと思っていた。しかし熟した先は腐乱していくのだと、若いころは思えなかったのだ。