根を下ろしたな。と思った。
息子は長い間迷い子だった。木に例えると、幹ばかり上へ上へと延びていって、地に根を張れていない。だから自分を支える力が弱い。自分を支えられないから、
思うような道に進めない。私はずっとそう思っていた。
彼の中学時代は悲惨だった。見ていて切なく成る程だった。
何にもやりたいことがなかったのだ。目標を持てない、こうなりない、ああしたいと言う目的を彼は持っていなかった。
勉強にも意味を見いだせていなかったし
(私はそれについて敢えて強くは出なかった。)、成績は本当に酷かった。三年生で卒業するまで正負の数を理解していなかった。勉強することは彼の中でなんのウエイトも持っていなかった。
意義も目的も持てないことに無為な時間を費やす、同様な後三年の高校生活も、彼には日の射さない日々だった。長い暗闇のなかに彼は居た。
彼は高校卒業後に画塾へ通いだした。美大を受験すると言う。
意味などないのだ。私は思った。彼が絵に情熱を見いだすはずがない。
彼は週に二日か三日画塾に通い続けていたけれど、家でスケッチブックすら開きはしなかった。
当然のごとく画塾も辞めた。
彼はパン屋でバイトを始めた。朝九時から午後三時まで買い物客のレジ打ち。チョココロネとかメロンパンなんかの値段を打って袋に詰めていく。
三ヶ月はもった。三ヶ月。三ヶ月経つ頃彼は家で引きこもるようになり、パン屋のバイトも首になった。
私は、見ていて切なかった。居たたまれなかった。
何故こんなに無気力に生かしてしまったのだろうと!
どんな素晴らしい出来事も美しい風景も彼のなかに色彩を持って訴えないのだ。
何も彼の心を動かさない。ずっと小さな頃からそうだった。幹ばかりが上を目指して、しかし何故上を目指すのか。どうしても自分で答えを見つけられない子だった。
私は切なかった。痛烈に悲しかった。
二七に成ったとき、彼は、大学に行く、と言い出した。
「どうして?」
と私は訊いた。
彼は言った。中央アジアのある文化の歴史に興味が湧いたから、その分野について教えてくれる学校を探して、受験するんだと。
根を下ろしたな、と私は思った。中央アジアじゃない。そんなのには意味はない。
ただ彼は根を下ろすと言う、
行為の行い方を知ったのだ。
背は伸びた。枝葉も広がっている。ただ浮草のようにさ迷っていた彼の生存能がいよいよ地に足を着けた。私はそう感じた。
ああ、これで大丈夫。彼は自分を立ち上げる事を覚えた。
受験勉強はそのうち辞めてしまうかもしれない。でも大丈夫かもしれない。今度こそ大丈夫かもしれない。
君は今根を貼った。自分が根を貼る意味を見つけ出した。
後は更に生きるために、より育つ為に、陽の光を、探しなさい。
君が生きるのに必要な太陽の燃える場所を目指しなさい。
私は、切なかった。痛烈に切なかった。
何の役にも立たなかった自分の役割がいよいよ終わったことに、猛烈な切なさを感じた。