小説「お宮さま」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

私が治らない病気だということをおばあちゃんは最期まで信じなかった。

亡くなるぎりぎりにお見舞いに行ったときだって。
「みいちゃん。おばあちゃんはな。みいちゃんが良くなりますようにどうぞどうぞ、ってお宮さまにお参りしょうるけえなあ。」

と言った。
お参りも何ももう二年寝たきりの胃ろう人間なのである。
お宮さまになんか行けるはずがない。それでもおばあちゃんは私の病気が良くなることを信じて、
元気なうちは本当に毎日のお宮詣でを欠かさなかった。

でもおばあちゃん、
私の病気は一生治らないんだよ。

それを知らずにおばあちゃんは亡くなった。私の病気は治らない。一生付き合っていくものだ。それを知らずに、いや、信じずに、祖母は逝った。

私の疾患は生まれて直ぐに分かったもので、命に関わるものでは無いけれど一生投薬し続けることが必要と言われた。
おばあちゃんはそのことをとても悲しんだそうで、
お宮さまにお参りしていたらいつかは良くなると信じて止まなかったのだという。

お宮さまと言うのはおばあちゃんちの辺りの氏神さまだったか産土神さま、
おばあちゃんは元気だった頃毎日毎日お賽銭を持ってお宮に通うことを止めなかった。

雨の日だろうが豪雪の時だろうが。

みいちゃんが良くなりますようにどうぞどうぞ、
と、言いながら。

私は何も死ぬ訳じゃない。
おばあちゃん、どうしてそんなに気に入らなかったの?

おばあちゃんのお宮通いを父はいつも苦々しく思っていた。
そんなことをされても、意味が無いじゃないか。
そう言って、苦々しく感じていたらしい。
「病気があったって薬を飲んだって、生きているのには変わりないじゃないか。」

そう言って、苦々しく思っていた。
私の病気は治らないけれど、でも毎日薬を飲みながら学校に行ったり友達と遊んだりしている。

ねぇおばあちゃん、私が薬を飲んでいることがそんなに嫌だったの?心配してくれていたのは分かっている。

でも私は、自分に与えられた生き方が、別に嫌では無かったのよ。

もう、伝える方法は何処にも無いけれど。それを思うと私は少しだけ寂しい気持ちに成るのだった。