小説「むらさきがすきでしょう」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

もう、自分の記憶の中には無い。
祖父にしても定かなおもいでかどうか分からない。とにかくちいさなわたしが祖父にそう言ったのだそうだ。裏庭に咲いていたすみれを摘んできて。

「おじいちゃんはむらさきのはながすきでしょう。」

三つくらいの時の事だったと聞く。
縁側で一人将棋を打っていた祖父に私がそう言ってすみれを渡したのだそうだ。全く覚えていない。

しかし縁側で本を見ながら将棋を指していると言うのは祖父の最もノスタルジックな姿で、私は今でもシャツ一枚に太鼓腹を隠しこんで、タバコを耳に挟んだまま将棋本をにらんでいる祖父を生き生きと思い起こせる。

 

「おじいちゃん、どうして一人でさしてるの。」

みっつだかよっつだか分からないけど私は将棋が相手の必要なゲームを知っていたという事になる。そう、祖父に尋ねた確かな記憶があるからだ。

私の両親は不定休で働いていたので私はしょっちゅう祖父母の元に預けられていて、特に縁側で将棋を指している祖父に子守されていることが多かった。子守といっても、祖父は将棋を指しているだけなんだけど。

 

そんな姿をずっと見ていてから将棋に相手が必要なことをやがて覚えたのだろう

「どうして一人でさしてるの。」

と私が訊くと、

「そりゃあな、本を見ながら指しとるけえだ。」

と祖父は答えた。訊いたことは何でもすぐに答えてくれる人だった。

「じゃあ本がしょうぶのあいてなんだね。」

とわたしが答えると、ああ、そうだそうだ。と嬉しそうに祖父は私の頭をなでてくれたのだった。

 

でもその会話のことは記憶にない。

「おじいちゃんはむらさきのはながすきでしょう。」

そういって私はすみれの花を縁側の祖父のところに摘んでいったのだそうだ。はたして本当に祖父が紫の花が好きだったかは、もう確かめようがない。ただ祖父は、

 

うらの葬式のときは紫の花だけつかええ。

 

と祖母に言い含めて逝った。

結果として祖父の祭壇は竜胆がやまほど生けられた見たこともないようなものになってしまった。

お棺の中にも紫の花をたくさん詰めてみんなで見送った。私が覚えても居ないようなことを大切に留めたまま、最期まで生きてくれたんだろうなあと思う。

 

私は、今でも縁側でくわえたばこで一人将棋を指している祖父の姿を思い描ける。死んで何十年にもなるけど、鮮やかに思い出すことが出来る。秋だ。

 

道端に桔梗が咲き出す。

 

おじいちゃんは私の摘んだ花が好きでしょう。と思って、私は久しぶりに祖父の仏壇に会いに行こうかと思ったりする。