空気が無いんだもの。仕方ないじゃないか。
私は半ば諦めている。
音と言うのは空気がどんな風に揺れているかの、その触れ幅と言うことでしかない。
それを知ったとき、私は父にこう尋ねた。
「じゃあ人間が居なかったら音は存在しないの?」
人間の鼓膜が受け取っている空気の揺らぎを、音と言うなら。
何を言っているんだ、と父に呆れられたのだが、でも私はそれを真実だと思った。
私の耳の中の小さな肉片がこの揺らぎを受け止めるから、音がこの世に存在するのだと。それを、真理と言うのだと。
なんだ、真理何て言うものは、こんなちっちゃな耳の奥の中にあったのか、とも考えた。
だから伝わらないのは仕方がない、空気が無いんだもの。私の周りには空気が無いのだ。だから私の揺れは存在しない。私は常にそれを感じている。
この世の何処にも存在しない自分を常に感じている。
例えば一日の終わりに今日で最後のビールをコンビニで買う。
その時レジを打ってくれる人にとって私は存在しないと考えている。
その人にとって私は存在をしていないのだ、何処にも居ないのだ。認識されない存在。
私の周りには空気が無い。だから私の音響は何処へも伝わっていかない。無音。空虚、孤独。私と世界を繋ぐ空気が何処にもない。
いつの頃からか私はそんなことを考えて日々を過ごしている。誰の目にも止まらない私は、
見上げる夜空が点でしかないように現実から隔たっている。
そう、みんな遠くに居る。私は一人、空気の無い自分の部屋にいてこの文章を書いている。
私の揺らぎは何処へも伝わっていかない、何故かというと、私が空気を欲しがっているのかどうか。
それが自分で解らないからなのだ。
空気が欲しいか?、呼吸がしたいか、辛いぞ。今の方がましだぞ。と私に囁く声がある。鼓膜のこちらがわから響いてくる声なのだ。
欲しがれ、と鼓膜のあちらがわから聞こえてくる声もある。声を出せ、小さくとも、奮わせろ。とその声は、云う。
私はいつか空気を欲しがるだろうな。そう思って夜空を見上げて私はビールを飲む。でも私の周りに空気が満ちてくるまでは、まだ、まだまだ。