小説「乾き」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

夜中に絵をかいていたらどうしても赤のサインペンが必要になってしまって、生憎家のなかを探しても見つからないし画材店などとっくに閉まっている時間だったから、
些か不本意ではあったが僕は終夜営業のスーパーまで出掛けることにした。

バカでかいスーパーである、何だってあるスーパーである、とうぜん赤いサインペンくらい何種類も陳列されているのだが、

僕としては絵を描くための道具をスーパーで買うのは不本意なのだ。

理由は別に大したことじゃない。拘りという、それだけのことだ、スーパーで売っているサインペンに品質上の問題がある訳じゃない、ただ、僕が画材店で買い物する、と言うことに拘っているだけだ。

夜11時を回っていたがスーパーは賑わっていた。

と言っても昼間ほどじゃないのでレジは幾つか閉められている。店員たちは段ボールを山積みにしたカートを押したり引いたりして明日のために店の様相を整えている、みんな必死だ、夜働く人間はみんな必死だ。

レジを打ってもらってサインペンに店名シールを貼ってもらい、店を出て停めておいた自転車に向かいながら、

なんだ。

さっきレジを打ってくれた女の子は。何処かで見たことがある。どこでだったか。記憶がある。僕は彼女を見たことがある。

頭の引き出しから古いスケッチブックを出してきて出鱈目に捲るようなつもりで悩んでいたら、

思い出した、あの子は死んだ甥っ子が好きだった女の子じゃないか。僕は真っ暗な駐輪場でサンダルの足をもう一度店舗の方に向きなおした。死んだ甥っ子が紹介してくれた女の子だったじゃないか。僕は思い出していた。

あれから随分経っている。経っているがしかしな。

僕は昔を思い出して当時の怒りが蘇るのに任せた。
中年の域をそろそろ出る頃に成って甥に先に逝かれると言うのも僕としては受け入れがたい出来事だったが、奴を殊更自慢に大事に思っていた兄貴の落胆はそんなものでは済まなかった。

しかも死んだ理由が職場の苛めを苦にして、と言うのだから。

僕はあの時自分の腹に点いた火が猛るに任せて、現実に打ちのめされた兄夫婦に変わり、奴の職場を相手取って思う様言いたいことをぶちまけに通ったものだった。

随行昔になる。昔にはなるが。

あの子はなんて乾いてしまっているんだ。

張りっぱなしでほったらかしのカンバスみたいにがさがさじゃないか。

僕は闇にコウコウとしたスーパーを見上げているさっきのレジの子を思った。カサカサに、乾いている。

僕はあの子の顔にペールピンクと白を混ぜて少しコバルトを足したアクリル絵の具を塗りたい、
と思った。
それからスカーレットにレモンイエローをたっぷり足して水で伸ばしたものをたくさんたくさん塗ってあげたい、と思った。

そんなことをしたって僕の知ってるあの子に戻りゃしない、だが僕の知ってるあの子はそんなふうな頬をしていたのだ、あんな風に乾いてやしなかった。

僕は夜風を奥歯に捕まえて舌打ちをした。自分の事ならいい、自分の事ならいい。

だが何故あんな若い女の子がああまで乾くほど現実に傷め付けられなくてはならないのだ。

そう思いまた舌打ちをして、僕は自転車のナンバーロックを、外した。