長編お話「その顔に、根の跡」25 | 文学ing

文学ing

森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「俺も写真の学校に行ったんだ。」

私達は暫くの間黙って下を向いていた。ずいぶん長い間だったと思う。
岡村くんはゆっくりとハイボールを飲み続けて、私のグラスが空いているのを見つけると、オジさんに対して何か難しい名前のお酒を頼んでくれた。
やっぱり甘い飲み物だった。

「どうしたの?」
私は聞き返した。
「いや。
宗田の話聞いてるうちに、今まで生きてきて一番嫌だった出来ごとって何かな、て考えたんだ。」
「なにそれ、なんでだよ。」
「俺だって嫌なこと山ほどあったはずだよな、って、思ったから。」
と、岡村くんは3杯目のハイボールを注文した。

「写真の学校って、写真の歴史とか理屈っぽい講義もあるんだけど、基本は操作の仕方勉強するんだ。
ピントとか露光とかアングルとかさ。」
「うん。」
オレンジみたいな味のお酒だった。
「その時に、講師からどんなカメラ使えば良いかとか指示はあるんだけどさ、だいたいみんな自分の好みの機種を選ぶんだな。」
「そうなんだ。」
「仕事にしたい訳なんだから。大事なもんなんだよ。言うまでもないけども。カメラって。命なんだよ。大げさでもさ、そんな言い方させてもらえば。」
岡村くんは紙に描いてあることをそのまま読み上げるみたいに、静にトーンを保って話す。

「で、ある時、学内でカメラのレンズがマジックで塗りつぶされるっていういたずらが頻発したんだ。
いや、いたずらじゃねえ、事件だ。」
言葉に熱が点りだす。
「商売道具だぜ。冗談じゃねえんだよ。
油性のマジックで塗りつぶしやがってよ。もうそのレンズつかえねえよ。スペア持ってた奴も居たんだけど、絶版だったやつは泣く泣く一式買い換えたりしたんだぜ。ふざけんなってんだよ。」
岡村くんはあくまで冷静に話続けた。

「犯人がなかなか捕まらなくて、皆カメラだけは絶対に置き忘れないようにって学校側から通達も何度も出たよ。
でも、
俺もやられた。
ほんのちょっと気いぬいてカバン置いててさ。
家に帰ってバッグ開いてみたら、やられてたんだ。」
「それは。」
「何も考えられなかったよ。新品買うまで授業も課題も進まねえんだ。
怒る、とかでもないんだ。絶望。それだな。もう絶望するほど最低な気分だった。宗田の話聞いてたら思い出した。」
最後には歯ぎしりするように言った。私は彼の胸の中にある過去を思う。
何も感じなかった。岡村くんの気持ちにとても寄り添えない。

「犯人は分かったの?」
「講師の一人だった。」
岡村くんによるとその先生は写真家として自分の結果が出ないことに苛立っていて、若い教え子に腹いせしたかったんだそうだ。

「ふざけんなって。」
当時を思い出していて、顔が赤いのはきっとハイボールのためだけじゃない。
「俺の最悪な思い出。そんな感じかな。」
「そっか。」
私は、岡村くんが特に感想を求めていないと思って黙ってお避けを口に運んだ。