さっき出先で高校時代の友人に偶然会いました。実に十数年ぶりの再会です。しかも偶然! びっくりしたなあ。
その彼女に今も小説を書いている話をしたら、(高校時代文芸部で小説書いてました、弓道部と掛け持ちしてました。)
「出だし思い付いたらばーーーっ!と最後まで書いちゃいそうだよね!」
と看破されてしまいました。どうやら私の書くスタイルは十代のころから変化していないようです。
通俗小説を書いていると文学賞では勝てない
とある選評に書かれてありました。通俗小説と文学にはどんな違いがあるでしょうか。私は常にその事に頭を悩ませるのですが、やはりどうしても
霊処(ヒト)を描く
と言う事でしか無いんじゃないかなと思います。
古い日本の言葉でヒ、とは日でもあるし火でもあるんですが
命(霊)と言う意味もあるのです。
そして私が調べた限りト、とは
場所、と言う意味で使われたケースが多い様です。
(だからヤマトと言う古名はまんま
山の有る処、と言う国土の特徴を表していたんでしょうね。)
人を描く。
修飾の必要もなく虚飾で囲う事もなく、
裸体で無題で無様でみすぼらしい、
ただの身一つに命を宿しただけの、
世界を救うでもなく誰かに愛されるでもない、
人を描くとはそう言うことだ。
私は文学に就いてそんなように考えています。
夫に言わせると
「出版社もボランティアじゃないんだから、面白くないものを選ばないだろう。」
それは私も考えます。
だから私がお話を作る至上命題は、
起伏に拘らず荒筋に引き摺られず、
あくまで文言の美しさに執着しながら、
ただ生きて老いていく人を書く事だけに集中し、
かつそれが読み手の心を掴んで為す統べなくぼろぼろにする、
つまり面白いもの。
そう言うものを書く事です。
面白さに拘泥することは出来ません。飾ることなく偽ることなく、
私が自分で自分の感性の網にとらえる人の真性を描かなくてはならない。
それで賞に勝てるかは、定かにありません。でも、もしそんなような文章を作れたら、きっと私は負けても悔しくないんではないかな。
そう自分で思えるものを、私は作りたいです。