長編お話「その顔に、根の跡」12 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

朝になったら小田切からラインが入っていたのでなんだろうと思って開いてみたら、

「だいじょうぶか?」
とあったので、

「なにがだ?」
とスタンプつきで返信したら、次の様に言われた。
私は昨日あれからべろべろに酔っぱらってまともに歩けなくなって、仕方ないから小田切が呼んでくれたタクシーに乗って、たまたま家の方向が同じだった小田切が私の家まで一緒にタクシーに乗ってくれて、
でタクシー代まで立て替えてくれていたらしい。

全く覚えていなかった。

ノンダクレにはよくあることなんだけど(良くあったらいけないんだけど)
呑んだ後で記憶がごっそり抜け落ちるんである、これをブラックアウトと言う(本当に?)

とにかく私は慌てて小田切に謝りの返信と、立て替えてくれたお金を返したい、と申し出た。

返信が帰ってきたのは昼過ぎで、このところは忙しいから、また坂岡が飲み会するだろうからその時でいいよ、と言われた。なんとも情けない話だ。

こんなとき家に居ると何を言われるか解ったもんじゃないから、私はぼろぼろになった頭を建て直すべくバスに乗って遠くの池の近くにある公園に出掛けた。昔課外授業で行ったことのある場所なのだ。

私の地元からは時々遺跡が発掘される。古代には勢盛んな地だったようである。気の遠くなる古代。
あるとき五千年くらい前の集落跡から蓮の種が発見されて、試しに栽培してみたらなんと芽が出たらしい。蓮と言うのは恐ろしいほどづぶとい生命力を持っている様なのだ。

その時芽吹いて繁殖した蓮の子孫が試験栽培されている池なのである。
私は三十分くらいバスに乗ってその場所についた。
蓮の観察池には翠の葉っぱがいっぱいに繁っていたけど、花の姿はまだ何処にも無かった。

そう、私はこうして覚えている事と忘れている事があまりの落差でそこにある。

昔確かにここに着たことを私は覚えている。
昨日泥酔して小田切に助けてもらったことを私は忘れている。

首すじと背中のあんまりな痕のことを私は覚えている。
しかしその持主のことをどうしてこんなにも思い出せないんだろう。
あり得るのだろうか。同じ時間を同じ場所で過ごした人間的の事をこんなに忘れてしまうなんて。

ありえるかもしれない。

であるならば、
私の記録もとっくに誰かの記憶の中でごみ箱に入っているのだ。私はとっくに誰かの記憶の中で

無かったことになっている。
当たり前か。その方が当たり前か。十数年を生きてきた。その間にどうでも良いものが出来てしまう方が当たり前なのだ。もうくよくよ考えることは止めよう。忘れてしまう事だってある。

私は蓮の翡翠の円を眺めて池の周辺をぐるぐる歩きながら、頭のまどを開けて新しい風をどんどんと取り込んだ。