引越しをするので本当に、ほんとうにほんとうにもう要らないものは気前よく捨てちまおう
と思って古い書類なんかを仕舞っている棚をごそごそしていた。
高校生の時授業中に回した手紙なんかがごっそり出てきた。
あの頃はどうせ学校終わったら一緒に帰るのに、授業中に手紙書いて隣のクラスの友達に渡しにいったりしていたな。
男子に言わせるとその手紙を書くと言う、
「文化が分からない!」
らしい。話せばいいじゃん、と言う事らしい。
それは置くとしても十年前の手紙なんてもういらないからざっくりと捨てた。
別の抽出しを開けたら今度は大学時代に取ったノート類がたくさん入っていた。こんなの良く残してたな、と思う。
文化人類学とか人間関係論とか法史学とか医学概論とか。
なんだか分けも分からないままに書き連ねてある。多分あの頃の自分も、今の自分も意味全く理解してないなと思う。
そんな抽出しの中身を出してはぱらぱらみてごみ袋に突っ込んでいっていたら、四回生の時に付けてたらしい日記が出てきた。
私は時々日記を付ける。いつも一年くらいは付ける、でも三日おきとか十日おきになったりすることもあるからトータルで言うと3ヶ月が良いところか。
でもその日記ノートには結構ぎっしり事が書かれていた。卒論の進捗状況を書いた物らしかった。以下に、
“6月某日
小学生の理科離れ、についての資料がなかなか見付からない。先生は新聞記事なんかを調べてみなさいという、それこそ膨大過ぎて探す気にならない。”
“6月翌日
先生に新聞の年鑑というのがあるから探しなさいと言われる。
あめゆじゅとてちてけんじゃ”
“7月某日
理科離れについてのアンケート項目に、ゴーサイン出ず。何を調べたいのかつたわってこないとダメ出し。
あめゆじゅとてちてけんじゃ”
“7月翌日
アンケート項目がなかなかまとまらないので先生の部屋で居残り。
なかば怒られながらの再構成。
他のゼミ生は序論に入ったひともいる。焦る。ものすごく焦る。”
“9月某日
アンケートに協力してくれる学校が見付からない。
それにしてもスーツ着て校長室で校長先生と話すのは疲れる。じみに、無駄に、疲れる。
あめゆじゅとてちてけんじゃ”
“9月某日
私学を頼ってみようかなと考えた。でも私学は敷居が高くて怖じ気づく。
あめゆじゅとてちてけんじゃ”
“9月翌日
母校を頼ってみようかな。いつ帰省しよう。
あめゆじゅとてちてけんじゃ”
私は読んで行きながら、何なんだろうこの時々書いてある呪文は。
これは確か宮沢賢治先生の「永訣の朝」に出てくる文句じゃないか。
あめゆきをとってきてください。
実際には何て言う意味なのかは所説あるらしいけど。
私は何だってこんな言葉を、日記の端々に書いていたんだろうか。分からない。覚えがない。
その後、10月、11月となっても卒論はいっかなはかどらず、
今日で閉め切りまで一ヶ月。あめゆじゅとてちてけんじゃ
と書かれたきりノートは数ページを残して終わっていた。
なんだろう、この呪文は。
これは深い悲しみと愛に溢れた言葉だ。一番たいせつな人が両手からこぼれ落ちていこうとするのをなお必死で引き留めようとした言葉だ。私は何だってそれをこんなに書き続けたのだろうか? 卒論ノートに?
卒論を書く以外にこの頃私が抱いていた願い事でもあったんだろうか。と私は考えた。
オマジナイでもするようにしつこく続いた謎の文言。
それにしても全く思い出せないと言うのが、記憶の後退に対する恐怖が増してくる、引越し前の散らかったこの部屋の中。