幼稚園のころ、せんそうとは何か運動会のようなものだと思っていた。
小学生のとき、長崎の原爆記念館に行き、戦争とは人がとんでもない死に方をする出来事の極地と知った。
中学校の社会の教科書に、 日本人は戦争のとき中国や東南アジアの人に酷い扱いに打って出た と書いてあり、申し訳ないことだと思った。
学生時代には、今の日本とはアメリカによってこてんぱんにされたあと同じアメリカに再生されたんだと気づき、その事になんとも言えない違和感を得る。
今30代になって、
私はいつまで敗戦国なのか、いったい全体世界の悪役なのか、未来が見えない気持ちでいる。
私が生まれてから私自身にとってだけでも戦争の認識はここまで変わる。
過去は認識することでしか存在しない。
認識は状況と情報でどんなにでも変わる。
だから過去は変化し続けるしそれは今までもこれからも変わらない。
そう考えていると、
思考する物体としての自分の身一つに乗った責任感に、肝が縮みそうになります、
戦争の終わった日。