公園の真ん中、噴水のある池のほとり。
芝生の上、風呂敷を広げた露天商の男。今時珍しい。規制が厳しくなってからとんと見かけなくなっている露天商。なにを売っているんだろう?
近づいて見てみる。
露天商は黒い大きな風呂敷を2枚並べた上に、時計をやまほど載せている。
文字盤が白くて丸い腕時計。大きさ順に揃えてある。
文字盤が四角い目覚まし時計。やっぱり大きさ順に並んでいる。
山ほどの時計。やまほどの時計を売っている? 露天商。
「どうぞ。お一ついかがですか? せっかくだから。」
眺めていたら、露天商の男が声を掛けてきた。
「時計の販売ですか?」
と私は聞き返した。
「いえ違います。これは看板みたいなものです。時計を売っているのとは違います。」
と露天商は返す。
時計は看板。しかし露天商の男が時計以外のものを商っている様子はない。
「何を扱っているんですか?」
興味はないけど私は聞いた。露天商に興味はない。露天商の売っているものに興味はないけれど、私には暇があった。時間があった。やることはなかった。だから露天商に話しかけたのだった。
「ところであなたは時計が欲しくなることはありますか?」
私の聞いたこととは関係のないことを、露天商は聞き返してきたのだった。
私は考える。
時計。
時計が欲しくなることはあるだろうか。あっただろうか。無いことはないだろう。
「ええ、ありますよ。時計が必要になることはありますよ。時計が欲しくなることはあります。」
「そりゃ時計が欲しいんじゃありません。」
と露天商。
意味が分からない。
「時計が欲しくって時計を買う人なんかいやしません。時計は時間を計るものでしょう? 漢字というのは便利ですね、ものの意味が直ぐ察せる。
時間を測りたくて時計を買う人なんていやしません。時間が知りたかったら時間を調べる方法はいくらでもありますからね。例えば人に聞けばいいのです。ラジオをつければいいのです。時計が必要なのではありません。」
露天商は続ける。
「時計を買う人はね、時計を持っている以上のものを欲しいんです。
色とか形、デザインね。あとはつけ心地、話題なんてものを欲しがっている人もいます。それから見栄っ張り。これが一番大きいですかな。見せびらかし、ほめそやし、ステイタス。
そういうものが欲しくって時計を買うんです。
私は時計以上のものが欲しくって時計を欲しがる人たちに、
時計以上のものを売っているんですよ。」
出来の悪いなぞなぞみたいなことを露天商の男は言う。
「ところで貴方は生きていたいですか?」
「そうですね。」
私は聞かれたことに応えた。
生きていたいですか。そうですね。生きてはいたいですね。
「生きているといいますと、まず心臓が動いて血液が運動して肉体が代謝しているということですね。
貴方はそういうことが欲しいですか?」
「いえ、それなら間に合っていますよ。」
現にここにこうしているのだから。
「では貴方は生きていたいと望むとき、
生きている以上のものを欲しがっているんですね。
どう生きたいか、どこで生きたいか、何をして生きたいか、誰と生きたいか、何を食べて生きたいか。
貴方が欲しがっているのはそういうことですね。
よろしかったらお一つお売り出来ますよ。」
「私がほしいものについて? 売っていただけると?」
「私は時計以上のものが欲しくて時計を買う人に、時計以上のものを売っています。
生きる以上のものをほしがっている人に、生きる以上のものを販売するのも、
同じことですよ。」
「しかし私が生きる以上のものを貴方から買い取るとする。それにはいったい何を支払えばいいのです。まさかお金じゃないでしょう。」
「時計以上のものがほしい人からは、私は時計をもらっています。
時計以上のものが欲しい時は時計で支払ってもらうんです。
ちなみに貴方が生きる以上のことを望むとき、
生きることで支払っていただくと、お望みに叶うと思いますよ。」
と露天商の男は言った。私の望みに叶うと露天商の男は言った。
生きることを売却すると、生きる以上のことが手に入る。
「それはいい。
それはとってもいいことですね。とても理にかなっている。」
と私は言った。