私は嬉しくなった。
この死神は物分りが良い。言わない以前に言いたいことを察してくれるほど、円滑な関係を維持できるものもない。
この死神は大いに当てになる。私はとても嬉しくなった。
「天才と悪党ならすぐにでも心当たりがあるんだ。」
と死神が言った。
「会ってみたいな。」
「どちらにだい? 天才の方か、悪党のほうか。」
「うん、そうだなまずは天才の方に会ってみたい。並べてものごとは天才がいないと始まらないからね。
しかし一面識のない私が急に訪ねて会えるものだろうか。」
「そこは侮ってもらっては困る。」
死神はちょっと、嫌な顔をした。不満気に染まった眉間がつるばらのような前髪の中で、盛んにそれを訴える。
「たしかに死神なんて御主やサタンに比べたら誠に劣る存在だがね。
しかし殊君の要求を叶えるくらいの技術はあるさ。もちろん持っているさ。
なんなだったら行こう、今すぐにでも行こう。」
死神は立ち上がった。
さっきまで座っていた、私の家の私のキッチンテーブルの、合板に樹脂皮を張った茶色い椅子から立ち上がった。
立ち上がって、そうしたら私たちはしらない場所に居たのだった。
「ほら、ざっとこの通りさ。」
と死神は両手を広げて私に示した。
しかしすぐにそれを止めた。ばつ悪そうに。
どうもこの程度の怪異を自慢するには、死神のプロフェッショナルが許さないらしい。本当はもっと驚天動地なことだって、やってのけられることなんだろう。
死神は広げた両手をすぐ下げて、またちょっと嫌な顔をした。
窓の外は真っ暗闇だった。
私は時間と地理を飛び越えたことを知った。
しかしそこがどんな国のどんな都市で、正確な時刻がいつなのかさっぱり分からない。でもきっと年次だけは2016年でよさそうだ。
窓の外が真っ暗な以上世界は真夜中だ。世界。この部屋の持ち主にとっての世界。
地球が丸いという説に従うなら、他の誰かにとっては世界は今輝かしい朝なのだと、思うけれど。
部屋の中には机と稼働したままのPCがやまほどあって、
書類を詰めたキャビネットがずらずらと漁網みたいに並んでいた。
いったい何を捕まえたい意図があるのだろう。
男が一人居た。
かなり広い部屋だったけれど、その男はたったひとりきりだった。
「この男は普通の人間が10年掛かって考えることを1年で完成させる。
だから君の余命をこれから10年こいつに割譲したとすると、
彼は本来よりも100年分余計に仕事が出来るということになる。
それならきっと君の意図に叶うと思うのだ。」
と死神は言った。
男は机に向かい、一心不乱に何かの数式を書き連ねていたが、
徐ろ立ち上がるとすぐさま部屋にある大きなモニター画面の一つを操作し始めた。
しばらくいろいろなキーをいじることに時間を費やしていたけれど、どうも首尾が良くないらしい。
あっという間に不機嫌な顔になって、
さっきの机の向こう側にあった、ほとんど壁そのものみたいなホワイトボードの文字列を、乱暴に消していった。
そして同じ机に戻り、
また猛烈な早さで紙に数列を描いていく。
窓の外は真っ暗で、彼はひとりきりだった。そして彼は部屋の中を、じたばた動き回るのをいつまでも止めないでいた。
「しかし彼はいったい何についての天才なんだい?」
私は気になったことを死神に問うた。
「それは本人に直に訊くのが一番いいのさ。」
死神は応えた。
続きます