焼き魚があると機嫌が良かった。
切り身よりは一尾付けが好きだった。
だから塩鮭や照り焼きの鰤より、さんまやアジを焼いたのが好きだった。
イサキやノドグロが出た日は景気が良かった。
小さい頃から
魚の身をとって食べさせてもらうと、喜んだ。彼が喜んだ以上に、彼の祖母が喜んだ。
祖母は箸のあつかいが大変上手であった。これはある種の名人芸であり、針で細かい縫い目をあっという間に拵えるようにして、骨から魚の身を削いだ。祖母の使ったあとの皿にはすべすべした骨しか残らない。
本当に箸のあつかいが見事であった。
にこにこと喜ぶ小さな孫に、一こきらも残さず魚の身を取って、口に運んでやった。いつもの晩御飯。
にこにこしながら、皿の上に載った魚を見ていた。
でも本当に好きだったのは焼き魚ではなくて、背骨だった。
彼がそのことを知ったのは小学生の時。博物館で恐竜の骨を見たとき。
夏休み、博物館で恐竜の化石の展示があって、彼は父親に連れられて見に行った。学校がタダ券(小学生のみ有効)をくれたのと、父親が暇だったからだ。
中型草食恐竜の全身骨格がそこにあった。
本物ではない。レプリカである。モンゴルの遠くの砂漠の中から掘り出された恐竜なんだそうだ。
彼はそれに魅入られた。
恐竜に魅入られたのでなくて、草食恐竜に魅入られたのでなくて、
骨なのだった。
殊更圧倒的な背骨なのだった。
なんだろう、この訳の分からなさは。彼は思った。歪で個別な固まりが、繋ぎ合っているわけでもないのに、でも分たれず、
いや、ばらばらになってしまうことが出来ず固まって、そしてまっすぐな分けでもなく、
明らかに歪んでいるわけでもなく。
背骨。
理不尽な一列。
柔軟ではあるがぐねぐねしてはいけない、堅牢ではあるが自由でなければいけない。
しかし完全に自由になってはいけない。
理不尽な一列。なんだろう、この訳の分からなさは。と彼は思った。
ミュージアムショップでサウロロフスのちいさなフィギュアを買ってもらった。もちろん骨の。肉質の伴ったものと2種類あったけど、彼は骨を選んだ。
それ以来、彼は家庭にあって、恐竜が好きなのだということになった。
恐竜の、骨格の模型。
誕生日とクリスマスには恐竜の骨のおもちゃをせがんだ。おもしろがった彼の叔父が、旅行先の土産にも骨格模型を買ってくれた。
全長30cmに及ぶ立派なものだった。
彼はシリコンで作られた骨の固まりを、本棚と窓枠にたくさん並べて、飽くことなく見ていた。
特に理不尽な背骨を見ていた。手に取って整列した突起に指を添わせたりする。
時間があると彼はいつまでも背骨を触っていた。彼の眼球と指先は背骨の、凹みや出っ張りに吸い付けられていつまで離れなかった。
なんだろう、これは。と彼は思った。
とても心が惹きつけられた。
続きます。