財布に1000円残っていたら、5日分の夕食を作ることが出来ない女とは遊ばないことにした。
当然遊んでくれる相手が居なくなった。
財布にあと1000円残っていたら。なんだかうどんが食べたくなって丸亀で並にお揚げ乗せて食べてしまって。そしたら帰りにローソンで久しぶりにうちカフェラテを飲みたくなってしまって。まだお金が残っていると思って古本屋にも行ってみたら読みたかった漫画が100になっていたから買ってしまう。そんなことをしていて明日の晩飯なにを食うというのだろう。
そういう相手とは遊ばないことにした。
だから当然遊んでくれる相手がいなくなってしまった。
ところでお揚げとはありがたいものである。
おあげさんというと京都では下手な肉より立派にふうわりな黄色いおあげを売っているものだけど、このあたりで手に入るのは合成樹脂を加工したと言われても違和感ない、ただ膨らんだだけのぺらぺらの油揚げである。それでもお揚げというのはありがたいものだ。
中を開いて甘辛く炊いたら稲荷寿司になる。お稲荷さんがひと皿あったらとりあえず晩飯が一回片付いたことに出来る。
麻婆豆腐にするにも普通の豆腐を使うよりかよっぽど立派なのが出来る。普通の豆腐を使っているととろみをつける頃には豆腐は正体を失っている。
キャベツと一緒に味噌味で炒めて丼にのせちゃってもいい。もちろんみそ汁の具にだって出来る。なんなら茶碗蒸しにだって入れちゃう。
私はそんなことを考えながら、財布に残った1000円で5日分の晩飯を作ることを考える。
命が続く限り晩飯を作ることを考えている。
蛇口をひねるみたいにATMからお金が出てくるような生き方をしなくて良かったと思う。そういうのはきっと、普通じゃない。
しかし蛇口をひねったら水が出てくる生活だって十分普通じゃないことを私は普段思い出さない。ほとんど忘れている。
しかしそれだって十分普通じゃない。
モンゴルの草原の真っ只中、チベットの星を掴む高山、財布に残った1000円で飲み水が買えると私が信じていたら、それはなにを意味するだろうか。
鶏皮と値引がついたベーコンと見切り品の菜っ葉を買って私は家に帰る。
なんとしても5日分の晩飯を作らなければならない。
なにがあったとしても5日分の晩飯を作らなければならないのである。
私はこういう生き方を幸いと考える。余計なことをする暇もなく毎日同じことをしていればいいというのは、幸いなことだと私は考える。