いいかげんなんとかしたいんだ。十一月が何日か過ぎるころ僕は具体的な意思をもってそれを願うようになった。いいかげんなんとかしたい。瀬尾さんからの手紙が来ないようにしたいと僕は強く願った。
父親の名前を知っている同級生を一人だけ覚えていた。どうしてそいつの父親の名前なんて知っていたんだろう。学校関連の仕事でもしてたんだっけ? そいつと特別仲良かったりしたんだっけ? 分からない。忘れてしまったけど、瀬尾さんと連絡の取り様が無い以上、瀬尾さんの実家から中りをつけてみるしかないと僕は思った。瀬尾さんの実家が分かりそうなのは、中学の同級生以外思いつかなかった。
僕はその同級生の父親の名前を電話帳で調べた。住所が僕が子どものころ住んでいた集落に近かったのですくなくとも同じ学校だったはずだ。
僕は公衆電話(いまや希少な電話ボックス)をプッシュしながら、怪しまないように事情を説明するためにはまず何を話すべきかなと思い悩む。同級生の小田だということをはっきり言うのが一番だろう。
「もしもし。」
声が若い。しかし子どもじゃない。二十歳よりは下の声ではないと感じる。僕は本人が出たのかと思い、同級生の名前を確認してみた。
「はい?」
肯定したのか否定したのか分からなかった。しかし相手は充分警戒している。
「中学で同じクラスだった小田だけど。」
と僕は言った。送話口を伝って何かが出てこれそうなくらい、緻密に長い沈黙が続く。そのあとに彼は言った。
「小谷か?」
コダニカ? と彼は言ったように聞こえた。そんなことは重要ではない。僕は
「ああ。」
と応える。何年ぶりだ。久しぶりだなあ。相手はやっと安心たみたいにそう言った。
「どうしてるんだよ。大学は何処いったんだった?」
「バカ田大学だよ。」
ほんとかよ、といって相手は薄く笑った。実際、バカ田大学とした言いようがない学校に僕は四年も通ったのだ。
「電話したのは用事を頼みたくてさ。瀬尾さんの実家の番号って今分かるかな。」
「誰だって?」
一瞬声が遠くなったので受話器を左右持ち替えたのかもしれない。右から左か、左から右なのか。電話で繋がっている相手を昔に隣り合った席になっているはずだった。しかし僕には彼が右利きなのか左利きだったのか思い出せない。しかし右利きの人は左手で電話を持つし、かといって左利きの人がプッシュするのも左手かは分からない。
「瀬尾さんだよ。ちょっと連絡取りたくてさ。」
「誰だよそれ?」
「瀬尾さんだよ、同じクラスの。瀬川暎子の瀬でおっぽの尾。瀬尾さん。忘れたのか。」
「居ないぞ、そんなやつ。」
「は?」
ばつり、と音がする感触。耳が聞こえない人が触覚で音の意味を知る感覚。それに似た方法でもって、現実の何かが切断された。
「そんな名前の奴は学年に居ない。サ行の苗字は坂本と篠原だけ。あとは山本とか岡本とか田中ばっかりだろう。おんなじような名前ばっかだろ、この辺り。そんな変った苗字の奴は聞いたことも無い。二つ上にも二つしたにも居ない。多分、町内に一軒もない。」
途切れてしまった現実をいつまでも摘んでおく必要も無いんだけど、とにかく僕はもうしばらく向こう側を繋いでいたい。
「引っ越したとかじゃないのか?」
「引っ越した奴は居たけど、それは木下さん。とにかく瀬尾なんて名前の奴は中学の時に聞いたことも無い。それに。」
全然知らない人間が喋る声が聞こえてくる。
「お前ほんとに小谷か?」
間を置かずに僕は応えた。
「小谷だ。」
しかし電話はその瞬間切れた。