お役の本当の由来について教えてくれたのはもちろん爺さんだ。
室町期において、獣害納めのための祀りだったことは事実である。
「ヤマガミ」としての日本オオカミの神格化。
オオカミにひとが食い荒らされる日常というのは、率直に悲惨だったと僕は想像する。そんなことにならないために、そんな目にあわないように、捧げ物をして機嫌を取った。
しかし本来の起源は
“祖霊鎮魂”。
本当に本当に悲惨な思いをして悲惨な暮らしをしてきた先祖の方々の、涙火の主の、なお晴れ渡らない心を慰めるのが、本当の目的だったのだ。
でもそういう行為は中央には気に入られない。国家反逆罪に問われた人間を、社に入れて尊重し続けることだから。中央が気に入らなくてけちをつけに来ることもあったんだろう。
なので途中から人間が逗留していたお小屋の祀りは、ヤマガミへの供物を供える獣害納めへと形式を変えていったのだった。
今度は中央の機嫌を損ねないために、本当にやっかいな「それ」を怒らせないために。
でも、それでもすたれない感情というものがある。
同情というと今はよい表現として取られない。
しかし同情というのがもっとも近い表現だと思う。
なんてあわれなことに
そういう感情はいつまでも消えずに残る。消えてしまってもどこまでまたもう一度火が点る。
だから江戸期には再び今のように、人がお小屋に逗留する、涙火の主と対話してそのよるべなさを慰める、かつての風習が取り戻されたのだ。熾き火に風が集まっていきなり炎が上がるみたいにして。
爺さんはそういうお役の仕事をとても厳粛に受け止めていた。涙火の主の蒙った悲惨ないきさつについて。純粋な同情の心があったのだ。
涙火が現われる夜、爺さんは一升酒をあおりながらただただ、涙火の主を言葉を交わしていたのだそうだ。
涙火の主と言葉を交わすといって、何をどのようにしていたのかは今の僕でも想像できない。爺ちゃんがもっていた心の深さと同じ深度を持っていないと誰もにも想像できないのではないだろうか。
爺ちゃんは涙火の山をそれは大切に思っていたのだ。
だから宅地造成のために大夫山の一角が切り取られることになったのは、爺ちゃん一世一代の大事件だったのだった。
そんなことになったら涙火の主になにがあるか分からない! いや、涙火の主がどんな行動に出るのかさっぱりわからない! これは全くの危機だ!
そう思って必死に抵抗したんだけど、結果として工事は何一つ問題なく終えられてしまった。
行政手続きがみんな終わって大夫山に重機が入りだしてから、
涙火はぱったりと現われなくなってしまった。
爺さんは非常に焦ったのだという。
やまり山に鍬を入れるから涙火が狂いだしたのだと。なんとか狂いを抑えないと大変なことになる。
そう焦ったのだけど、爺さんはその後二度と涙火を見ることはなかったのだ。
山を壊したから涙火の主が逃げてしまったのかと爺さんは落胆した。そして、でもいつかはまた戻ってくるのではないのだろうかと、願いを込めてお役を守り続けた。
でも涙火は二度と現われなかった。
だから爺さんは自分を疑うようになってしまった。
気がついたらお役の夜の意味や重要性を理解している住民が、だれも居なくなっていた。爺さんはたった一人でお役に固執していて、へんくつな年寄りだからこまる、と周囲から孤立してしまっていた。爺さんはお小屋役の熱源だった。熱の伝わる範囲は時間と伴にどんどん狭くなっていく。冷え切った風が四方から吹き込んできて、やがて熱源の爺さんまで冷却してしまう。
自分はひょっとして長い間まぼろしを慕っていたのか
この考えに至って爺さんは深く落胆した。山が切り崩されても集落の暮らしはなにも変らなかった。むしろ懐具合がよくなってみんな喜んでいた。
涙火は初めから何処にもなかった。
自分は伝承に拘りすぎてずっとまぼろしを見ていたのだったか。
僕が爺さんから得たところの、お役に関する知識は以上がすべてだ。
でも爺さんが慕い続けたお役の夜と、子どもの頃僕がみたものとは異なる点が一つだけある。
僕は確かに子どもの頃涙火を見た。しかしそれが涙火なんだと気が付かなかったのだ。
爺さんが言ったのと違っていたから。
木々や草間に点る飛沫の焔。それが子どもの夜僕の見たものだった。
本当は違う。爺さんに見えた涙火は本当は違った。
爺さんのところにいつもやってきたのは、
お役のたびに現われたのは、涙を伴ったおんなのひとだった。女性の姿をした山の守だったのだ。
お役の夜、爺さんの目の前に現れて、青く灯る火の涙を流す女性。
それが爺さんが大切にした思い出の本性である。
涙火はおんなのひとが連れてくる。だから子どもの時みたものは、本当は涙火じゃない。
本当の涙火を僕が見たのはやはりあの時、意を決して大夫山に戻ったあの時しかなかったのだ。
あの時の彼女と分かれてから一瞬で数ヶ月過ぎ去った。
僕があの時の彼女が
「本当はなんだったのか。」
に気付いたのは、驚くべきことに、さっきだ。
これでこっぽり。