小説「お小屋」M.PP21 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「だれ?」
とそのこが言った。
「そっちこそ誰だよ。」
ひとんちの山に、と言いかけて、そういえばもう僕の家の所有かどうか怪しいものだ、と思い口をつぐむ。
「誰だよ。」
僕はもう一度聞いた。聞かずに居られないのだ。あまりに不可解な出来事だから。どうしてこんな場所にこんなおんなのこが居るのか。隣接する他の市や町の人間ですらこの登山道の存在をしっているかどうか。
そんな場所にどうしてこんな女の子が居るというのだ。はじめ僕は驚いた。単純な意外性にむしろ冷静で居られた。
でも状況の異様さがしずかに着実に肌から下を浸でいくにしたがって、これは尋常じゃない、これはいくらなんでも現実的じゃない。
僕はおそれをなして、もう一度言った。
「誰だ、君は。」
「結。」
なんどもいわれなくてもわかるわ
と彼女は小さな声で言った。
「ああ?」
あんまり小さな声だから聞き取れなかったのだ。
「ユウ。」
「何?」
「名前。」
「え。」
虚を衝かれた。
そっちもなんとかいいなさい
と彼女はまた言う。やっぱり小さな声だ。
「何?」
「名前。人に聞いといてなによ。」
なんどもなんども、しつこく
あらためて非現実的な女の子だと思った。衣服や髪の毛は清潔でよく手が入っていて、一見して賑やかな地域に住んでいることがわかる。分かるから、どうしてこんな僻地にしてもなお無価値としか言いようのない、無名で無明の山奥に、こんなこがいるのか僕にはなんの答えも出せなかった。
「悠。」
だから仕方なく応えたのだった。
「何?」
こんどは彼女のほうで物憂げに言った。こんなやりとりはどうでもいいんだ、と電波みたいに無言を使って僕に報せる。
「名前。おれの。ユウ。君の名前もユウでいいんなら。」
彼女はたいくつなテレビを見ているように色が宿っているだけの目をしばたかせる。色は入っているのに使い道は加味されていないのだ。
「どういうわけか同じ名前だな。」
「何しに来たの。」
「そっちこそ何しに来たんだ。ここは仮にもおれの家が管理してる土地家屋だ。こうまで荒れ果てているのにしたって。」
「これはあれはてているの?」
「昔はもっと手入れされてたんだ。」
「ここで何をするの?」
おじちゃんといっしょにいたおんなのひとはだれ
祭りの宴席で邪なく子どもが言うみたいだった。悪びれる自覚とか悪びれる必要とかを一切匂わせずに彼女は言う。かきわりみたいな女の子だな、と僕は思った。壁に描いてあるみたいなんだ。没個性というより、世界でそういう役割を負担しているように僕は感じた。
「お役。」
「お役?」
どうせ理解できないんだから僕は本当のことを言った。
「お役をするんだ、今日ここで。ここに一晩泊まって夜の間山の守の饗応をする。それがお役。おれの家でずっと続いてた習慣なんだ。」
「じゃあわたしとおなじなのね。」
「なんだって。」
相変わらず彼女は意図のこもらないイントネーションでものを言う。だからこそ何を言っているのか分からない。
「さかいめを探しにきたのでしょう。」
「どういうこを?」
「ここはさかいめよ。いろんなことの。いろんなことの境界をきめていいばしょなのでしょ。」
「恐れ入るな。」
君みたいなこがなんでそんなこと言うわけ?みたとこ高校生くらいだろ。
僕はそろそろ、今風に狐がばけたのにでも捉まったかな? と考える。大夫山で狐をみたことは一度もないけどだからといって一匹もいないことはないだろう。
「だから山の守さんに声をかけにきたんでしょ。」
「声?」
「呼んでみて返事がなかったら、さかいめを決めることができるもの。なにと、何が隔たっているのか。そういうことでしょ。」
「つまり君のそんなふうに、なんにだか知らないが、声を掛けるためにここまで登ってきた、とそういうこと?」
彼女は初めて力強く頷いた。
「それはごくろうさま。で、気が済んだら早く下ったほうがいいよ。明るいうちに、少しでも。早い方がいい。こんな小さな山でも滑落なんて面倒は願い下げでしょう。」
「帰らない。」
「なんだって。」
僕は面倒と、好奇心が混濁しつつ、その両方が彼女に向かって錐の先を目指していく。
「私もここにいる。」
「ここに。いつまで。」
「あなたが降りて居なくなってしまうまで。」