小説「諦めと失望を支えにして家に帰る順備」M.PP15 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

発掘現場でのバイトは一端終わりになった。
未発掘の箇所は多い。しかし今まで掘り返した場所は多い。
現段階で分かっていることについて詳しく話し合おう。
そういう風に調査隊の方針が固まった、とそういうこと。
僕たち要の無いバイトは一端追い払われることになった、とそういうことである。
休講期間をいくらも残して唐突に時間が空いてしまった。
僕は単純に暇になったのだった。この白い日程について僕は思い悩んだ。
どういう風に消化するべきなのか?
バイト代は契約の日数をすべて終えた後にまとめて支払われることになっている。
あと半年を切り詰めながら乗り切る足しになる金額だ。僕は日雇いか一週間単位のバイトでも新たに探そうかと思った。
あるいはもうじき本格化する卒論の順備について、まじめに考えてもいいかもしれない、とも思った。
日に当たって消耗した身体をじっくり休めるべきなのかもしれない、とも考えた。
そんな身の乗らないプランA、プランBの隙間から、なぜか爺さんの顔がひょっこり出てきて、僕を驚かせる。
どうして爺さんが今頭に浮かぶんだ?
それを疑って、その出所を僕は細かく疑ってみた。何故今爺さんかについて。こと細かく疑ってみたら、
9月は爺さんの命日であった。
そして爺さんが死んだ日は、僕の日常に関して恐ろしく無関係なことだった。
進学していこう一度も帰っていない村の、一度も墓参りをしていない爺さんの墓。何故今そのことを考える?
先祖代々の地面に沈む寸前の墓。何年も思い出さなかった爺さんの葬式。
どうしてだ。僕は非常に不思議な思いがし、寝ていた布団から起き上がりさえしたのだ。
僕はどうして爺さんのことを思い出している?
そして爺さんの死を思い出したら、付録みたいにしてお役のことまで日常の裏側から引き出されてきた。
「お小屋役」「お役小屋」。
という僕の育った村の風習は、少なくとも室町時代に原型が出来上がっていた古いいきさつを持っている。
里山の懐を切り開いた部落だったから、お役が始まった当時日本オオカミによる獣害が深刻だった。
容赦ない野生への恐怖は、それを畏怖に転換することで難を逃れたい昔の人達の無知を刺激した。
それで、オオカミは「山の守」として敬意の対象とされ、社が作られ、人に害を及ぼさない祈願を込めて
牛だのを殺して供えたのだそうだ。
一説には当初人を供え物にしてた、という考え方もあるそうだけど、ならばいつのまにかまた人に役が回ってきている矛盾が説明できない。
時代が下って技術の進歩は奥山の村にもずりずりと歩み寄ってきて、人の方がオオカミよりも強くなった。年を置かず日本オオカミは激減していく。
しかしその後も「山の守」への敬意は変ることなく続いたのだという。
前後の経緯を語る資料は散逸しても、「お役小屋」に人が籠もるという習慣は細々と途切れることなく続いた。
僕は爺さんの言葉を思った。
「山だったところが平になっただけや。それだけだったぎゃ。」
父だの伯父だのは最終的に爺さんを嫌っていた。彼らにとってお役はすればいいだけのことで、しかしこれだけ長い間続いているんだから、
とにかく途絶えることは避けようと、それだけのことだった。
そんな彼らにとって爺さんは面倒な存在だった。
元実家の所有だった山を開発のために手放す時、爺さんが頑固というにも頑固に抵抗したのだから。
「山つぶすた、承知ならん。」
爺さんはお役のことをとても尊重していた。
根拠となるともう想像も付かない。分かるとすれば爺さんにとって「山の守」は特別な存在で、その場所に
「刃物を入れる」
(これは爺さんによる表現)
などは、承服しかねる問題だったという、そのこと。
『かならず好くない仕儀に至る。』
爺さんはこういって譲らなかった。
爺さんがどれほど頑なに譲らなかったのか。
それでも県が提示してくれる金額は現実的で合理の塊だった。結局伯父と父が結託して一切をとりなした。それから爺さんは怒りくるうよりも、岩のように、動きも語りもしない人になってしまったのだという。
これは僕が小学生くらいの頃伯父から伝聞したもので、
爺さん本人から聞いた話とはかなり隔たったものだ。
爺さんは、本当に本当に傷付いたのだと、一番年少の身内である僕に繰り返し、話した。
山が切り開かれたことじゃなくて、
その後も続いた、いやある意味「続かなくなった」お役について、本当に、本当に、
傷付いたのだ、と話した。
そういうことを僕はわざわざ寝床に体を起して、一つずつ辿っていた。
「嫌でも、頃合ということかな。」
一瞬にして気分が悪くなり、やけを起した頭一つ下げてコンビニに酒を買いに出た。
頃合だ。
僕はずっと逃げ回ってきた。
爺さんの哀しみと向き合うために自分なりに逃げ回ったつもりだ。それは爺さんの失望の決定打になった自分自身についての落とし前のつもりだった。
しかしそれもいよいよ頃合だ。今より年を取る前にどうしても落としどころを見つけていたい。
社会に対して言い訳が聞く今のうちに。
休講期間の残りを使って山に行こう。
そして今度こそ、あの時見たものと真剣に向き合おう。もう誰にも嘘をつかないために。
僕は久しぶりに強い決心が湧いて出るのを、暗い心臓の裏側に感じていた。