小説「旅、あるいは迷いの始まり」M.PP14 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

そうだ、私はずっと、死んでしまうことに対して本当に知りたいと思っていたんだ。
と彼女は思った。
母親の口座からお金を順備する方法を考えながら、
地図や路線図をいろいろ開いてみながら。
今より東側には行きたいくないと思いながら、そう彼女は、自分が今住んでいる場所より東にはどうしても気持ちが向かない。そこにある空気はあまりにも深くて、硬い。息ができるような気がしない、あくまで想像の範囲において。
ここから西に西に向かうにはどういう方法が適当かな、と思いながら彼女は、
自分がずっと長い間死んでしまうこと、死とは何かについて深い興味を抱き続けたことを漸く理解する。
今まで理解することを避けていたのは死について考えることがものすごく暇な人のやることだと思っていたからだ。
例えばダンス・マカブルというものがある。例えばメメント・モリという考え方がある。死は誰にでも平等に訪れるという考え方がある。
あるいは天国と地獄という仲の悪いお隣さんがいて、そのどちらもがよりたくさんを、自分の家にいれようと必死になっている。
あるいは死後の裁判と呵責というものがある。
人間というのは誠実で潔白な神様と、不真面目で不衛生な悪魔の真ん中にいてあっちに行ったりこっちにいったり、忙しくしている存在だったりする。
なんていうことはもう当たり前すぎて、誰でも考えていることがから、改めて考えるのはどうしようもなく暇なことにしか思えなかったのだ。
だから今まで、彼女は自分が死、死ぬことについて非常に興味を感じていることに、自分で納得しまいとしていた。それは実際非常に納得していることの裏返しに違いないのだけど。
彼女は今、西の方に向かう予定をあれこれ考えている。あまりお金を掛けずに、できるだけ危険もさけながら(警察やメディアに話題として採用されることは不本意だ)、どうにか力量に合った山に行ってみたいと考えている。
「山」というものについて、彼女はおばあちゃんからもらったイメージしか知らなかった。
小学生のころ遠足で行った公園のある山とか、中学生のとき宿泊訓練をした間に合わせみたいな山は、どうもしっくり来なかった。
人の手が入っていない、というか、価値なし見込みなしと判断されているような山が彼女の意図に合う。どういうわけか、おばあちゃんがそんなお山について話していたような気がする。
という気がするのではなくて、実際そうなんである。
血縁の奇妙というのか彼女の感受性によるのかおばあちゃんの(ついでに言うと父親が)住んでいたのはまさしくそういう場所だった。
そしてそういう場所の、おばあちゃんの生きた世代というのは、
本当に人がよく死んだのだ
ということを、彼女は知らない。そういう場所で人は簡単に死ぬ。今彼女の身近で人は滅多に死なない。だからこそ彼女は人が死ぬことに対して、
そういう抽象的な、出口も答えもそれどころか入り口もないような思索に嵌り、落ちくだり、そこでじっとしているのが好きだった。
これが彼女の中で育てられた、死ぬことについての興味だった。
具体性の無い精神性を議論した文脈を辿ってたどっていったその先にだけ、
彼女が欲しい答えか、出口が、少なくとも入り口はあるような気がしていた。
つまり彼女は今自分がどう「生きているのか」を確認する方法を探しているんだけど、
本人がそれに気付くにはもう少しだけ、時間がかかる。