小説「むかしむかしあるところに」M.PP10 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

こういう興味の隔たりが出来てしまったのは
やっぱりおばあちゃんのせいなのかもしれない、
と彼女は考える。
どうしようもない隔たりは最初から気付いていた。
あからさまに言うと生まれてくる時代が大きくずれてるのかな、と言えるほど、完璧に隔たっていた、
興味を感じる対象が。
彼女は学校に入り、十代の複雑な人間関係と対峙するにあたって、
自分とおんなじベクトルを持っている子どもに、会うことが出来なかった。一人だって会うことが出来なかった。
言葉を話すデフォルトされた動物や、不自然な動きで罪のないひとたちを笑顔で倒す女の子、全く意味を為さない歌をさっぱり意味の分からないドレスを着て歌い続ける男の人。
どれもさっぱり分からなかった。
どうして同い年の子ども達がそういうコンテンツに必死になるのか、彼女には分からないのだ。トレンドの風に乗るとか乗りこなすとか振り落とされるとか、
そういうすべての出来事は今に至るまで彼女を一度も取り巻かない。
彼女はその風が吹き荒れているのを、モニターに映っているSF映画くらいにしか思えない。遠い星の小さな国の、醜い姿の生物たち。
その原因はやっぱりおばあちゃんにあるのかな、と彼女は考えている。何もおばあちゃんに恨み言を言いたいわけではない。でも彼女がそぞろ歩きする生き方を選ぶきっかけになったのは、小さいころのおばあちゃんとの暮らしが全く無関係とは言いがたい。
彼女の両親は羽振りが悪いくせに見栄に対しておおらかになれない類の人達で、赤ん坊の彼女の世話をさせるために父親の母親が田舎から呼びつけられた。
彼女の両親は割りのよくない仕事から豊かな日常を作り出すために、いつも熱心に働いていた。
二人揃って一日中働いて、きれいでおしゃれな一戸建てに無理して住んでいたのだった。
小学校に入るまで彼女はおばあちゃんに育てられた。
おばあちゃんはこの年代の女性としては希なことに、4年生大学を卒業した聡明で博学なひとだった。
その智恵は日常の中にいかんなく発揮されていて、最短の時間を使って掃除や食事の支度をしたり、息子が与えるお金を事細かに仕分けて、孫に贈り物するための余剰を見事に作り出していた。
そういうおばあちゃんがさんぽの途中、布巾を縫う手仕事の合間、寝物語に教えてくれたお話が、結局彼女の興味を決定付けたものなのである。残念ながら他のどんな子ももつことの出来なかった、時代錯誤な古臭い、地味な意味不明な、非営利的なインタレストだった。
おばあちゃんはいつも、山に住む、人ではない、でも人と関わりのある、姿のない、または姿を見せる、不思議な物語を小さな彼女に対して語った。父親はそういうのを嫌っていたけど。今時そんな荒唐無稽な話しをするんじゃないと。
でも彼女は
むかしむかしある山に、
で始まるその、「今時荒唐無稽」なお話が大好きだった。人格形成に当たる幼い重要な取り返しの付かない時期に、おばあちゃんがずっと側にいてくれたことは彼女にとってしあわせなことである。
おばあちゃんは常に自分の頭で考えることや、自分の心に素直でいることや、時には嘘偽りと戦わないといけないことを、昔語りを通して彼女に伝えた。
むかしむかしある山奥に、おじいさんと小さな娘が暮らしていました。
「今時荒唐無稽」なお話をこくんこくんと咀嚼しながら、彼女の原始的な人格は形作られていった。
それは精神性や物質の領域で語りつくせないものへの興味に固定されていくのだけど、
それは何もおばあちゃんが悪いのではない。
今日も彼女がそぞろ歩きしているのは、まったく違う理由からそうしているのだから。これは彼女個人に由来する、純粋な興味である。