小説「宇宙でたったひとつの太陽」M.PP 2 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「原初の胎動を一巡終わって太陽が落ち着きを得たあと、
からだの内側に鎧を着た状態で人は産まれた。
このとき人は無知にして非常な怠け者であり、
そうである以上無垢で穏やかな生き物だった。
この時人は安寧な時代だった。
しかし安寧は一瞬のものであり、人は一瞬して智恵に気付く。
後ろ足で立ち上がり、自分に口があることを知る。
それは孤独と同義のものだった。
口を使うわけを求めた為に人は、同時に孤独に対して怒りを感じた。
怒りは自分と同型の伴侶を見出し、ここで孤独が一旦の決着を迎える。
口を使うわけが産まれたために、
人にとっての興味と好意が生まれた。
別ちがたく敵意と悪意も生まれた。
興味と敵意、好意と悪意、この反発はひとつからだの中に留まっていることが叶わず、よって人は両性に別たれた。
両性は性質の面で何もかも違っていた。
そして智恵は物質への興味と悪意に向かって急速に加熱していく。」
カバラ式宇宙論のページを適当に読み飛ばして行きながら、
彼女はとても寛いで、ふ、と笑った。
「物質への悪意が加熱を極めた時、凋落はいきなり訪れる。
加速は限界点に達し智恵は冷却されつつ下降を始める。しかし落ちていくことは上昇していくということの反転同義である。
物質としての失望は精神としての僥倖であり、
完全に上りきることは落下が終わりを告げるのと同義である。
ここに至って両性は再び癒着し、物質に対する智恵と言語に対する智恵が逆転する。
この時物質と言語は全く同じものであり、
ここで人は漸く口の本来の使い道を知るのである。」
彼女はくらくら笑いながら、
「かわい。」
と言った。嬉しげだった。
こういうなんの役にも立たない文字の羅列が彼女には好みだった。
彼女にはページに書いてあることがほとんど理解出来なかったし、
文字の羅列から得られるイメージは窓の向こうの骨ばった家と
その向こうにある巨大な生産施設を飛び越えて、見も知らない場所を漂っている。
彼女はそういう意味のない(無い訳ではないが)
文言の浮いたページを繰るのが好きだった。
そんなことだけが好きだった。
水槽の中の金魚を飽きもせずに一晩中眺めているようなものである。
病気のようなものかもしれない。
要するに彼女は物体でないものがとても好きだった。それはつまり精神について述べたもの。
彼女は首都に比べてそれほど見劣りしない都市に生まれて、今日も住んでいて、
精神と呼べるものはページの上くらいにしかない。