春という季節が好きです。桜の花がたくさん咲くから好きです。
桜の花はとても好きです。あんまり好きなのでこ踊りします。
河川敷に整列している姿なんとも好きです。
ピンク色の炭酸がどの泡もことごとく違う歌を歌っているような
狂気の歓喜に沸いている姿を見るのがとても好きです。
だから大学生くらいの時から、
春に野外でお花見をして、飲んだり食ったり管巻いたり、ちょっと申し上げるべきでないことになったり、また飲んだり食ったり喋ったりバツゲームしたりするのが
とても好きでした。
春は「張る」。
冬は「増ゆ」。
冬の間に辛く苦しい思いをして必死に貯めたエネルギーが、
今こそまんぱんになってあふれ出す。
それは多少の無駄を含んだものかもしれません。
しかしそれが無駄だとしても、春先の田起しで鋤きこまれる勢いだけの雑草のように、
いつかは田んぼの肥やしになるのでした。
私はそういう、無駄なだけの賑やかなお花見がとても好きでしたが、
生涯でぜったい忘れられないお花見は、
そういうのとまったく違うものです。
そもそもお花見でさえないものでした。
でも私はその出来事が人生で一番好きで、人生が終わるまで忘れることがない出来事なのでした。
20代のある頃その時の彼と同棲していました。
お互い学生が終わる頃だったので、そんな頃の春はとても慌しく過ぎていこうとしていました。
ある夕方に、私達はスーパーに晩ご飯の買い物に行きました。
晩ご飯といっても自分たちで作れるものがたかが知れていたので、
多くは出来合いのコロッケとかなのでした。
ビニール袋をひとつずつもってアパートに戻ろうとした時、
私ははたと今日の日付に思いが中りました。
「ああ、今年はお花見できずに春が終わってしまうわ。」
私はすこし哀しい気持ちで、春はずいぶんとうが経っていることを知りました。しかも哀しかったのは、春の終わりに思いが中らないほど、私もなんだか、
こなれてあせてきたなあと感じたのでした。
今まで持っていた、子どもの部分が。
しかし彼は黙ったまま、なんだか変な様子でした。なんで変だったかと言うと、アパートに帰るのではない、行ったこともないような道を歩き出したからでした。
私は知らない道を歩いて行く彼のあとを付いて歩きました。
必要を感じない時には何を聞いても応えてくれない人だったので、私はただ黙って付いて行ったのです。
付いていった先には、見たことも無い公園がありました。なんの変哲もない公園です。ブランコと砂場がありました。ベンチが二つありました。花壇にしおれたチューリップが咲いていました。
そして桜の木がありました。
「やっぱり、もうほとんど散っているなあ。」
と歩きながら彼が言いました。
確かにその桜はもう、葉桜という体のものでした。
やるきのない雨がしのしの降っていて、枝に残っている桜の花は
わけも分からずへばりついている、
という感じでした。
「どうしたの?」
と私が聞いたら、
「あなたが花見したいっていうから、来てみたけど。」
とだけ言ったのでした。
これが私の一番好きなお花見の思い出です。
一番しあわせなお花見の思い出なのでした。