実は今まで
爪を飾る女はくそばかんちんだと思っていた。
長く伸ばして色を付けて色石をきらびかせている、
そういう女は残らずすかぽんたんちんだと思っていた。
理由が分からなかったからだと思う。
なんで爪にそんなに飾りをつけていられるのか。
例えばロマノフ時代のロシア。
あるいは清朝の中国。
そんな頃の富裕層はことさらに爪を伸ばして、いろんな模様をつけたり
マニュキアの種類を楽しんだと聞く。
でもそれはその人達が金持ちで、
自分で手を使ってすることがなにもないんだ
全部ヒトがしてくれるくらい、おれは金持ちなんだというデモンストレーションだったんだ。彼らは金持ちだったら、爪にも飾りが付けられたのだ。
しかし最近どんどん貧乏なこの国の貧乏な女の人がこぞって爪を飾るのは
まったく理解に苦しむ光景だと、
何を考えて何を行って生きているのかと、
言ってしまえば見下し切っていたのである。
でも今日初めて女の人の装飾爪を
なんて綺麗なんだろうな
と自分は思った。実に不思議な数分だった。とにかく不思議な感覚だった。
自分は電車で吊革に捉まっていて、目の前のシートに座った若い
かどうか判断付かない、化粧「しかない」ような顔した女性がスマートフォンをいじっていた。
その人の、
爪がなんとも綺麗だなと自分はつい見とれたのだった。
単純に見事な造形だった。しゅうと伸びた形は花びらのよう。
上半分は柔らかな浅葱、下半分はそれに着いて出てくる日の出みたいな
絶妙な桃色だった。
そして両者の間を斜めに区切って
細かいきらきらした石が名残つつ消える星みたいに、
あるような、無いかもしれないくらいの、微かな存在を強固に主張していたのだった。
自分はいまだかつてこんなに見事な爪の飾りを見た事が無かった。
自分は昔田植えをした。
昔といってもコンバインを使って植えていた。
しかし今ほど性能が高い訳ではなかったので、
機械が大雑把に植えた後の始末はニンゲンがやっていたのである。
自分は田んぼに稲を植えていた。足も手も泥だらけにしながら。
しかしこの素晴らしく見事な爪は、
仮に田んぼの泥の中に深く深く沈めてみたとしても、
ものともせずにありのままの美しい姿を、再び空気に晒して見せるんじゃないか。
どぶに漬けたってなんにもかわりゃしないんじゃないだろうか。
そういう、何と言うことも出来ないような、
絶対
を持っていると自分は心打たれたのであった。
自分はあんなに見事な爪を今まで見たことは無い。
自分はその素晴らしく見事な爪に数分見とれた後に、
降りるべき駅が来て、電車を降りた。