バゲッドなどと言われてもぴんとこなかったのは
まだつい4、5年くらい前のことだ。
今ならボガディージョなるものもしっている。
イギリス人は朝飯とお茶菓子に命を懸けていて、
夕飯が何なのか分かっていないと言うことも、メディアを通して知った。
小僧のころから学生、つかいっぱしり会社員時代を一貫して、
私の朝食は常に
夕べののこりの冷や飯にこれまた冷たい味噌汁をぶっ掛けたものである。
(ちなみに、夜中までやっている飯屋に通い詰めていたら
そこの店主が妙に私を気に入ってくれて、
可能なときは飯のみならず味噌汁までひえたまま用意して
待っていてくれるのはこれは人が人と出会う上での僥倖というものだろう。)
私は冷や飯に冷えた味噌汁をぶっかけたものがたいへん好きである。
少年時代に手塚治虫の「ブッダ」など熟読した影響かもしれない。
“ほどこしを得て生きていく”
というスタンスがなんだか言いようもなく
かっこよく思えた。
そんな気持ちになってみたくて、冷や飯朝食を習慣つけていたんだけど、所詮、
かっこいい
人は意図せずそれをしているもので、所詮意図してやっているものは一人残らず
かっこわるいのだ
と気付いたのは、自分でもそう遅くなかったと、安心しているのだが。
しかしいつの頃からか
私は苦行林の朝みたいなんでなく、
どうも
かっこつけた朝飯
というものに心酔するようになってしまった。
40過ぎて収入も増えて、一人だし、毎日冷や飯食わなくてももういいいだろう
と思ったのがきっかけな気がするのだが、定かでない。
しかし、
よく焼いた厚いベーコンと脇に副えられた目玉焼き、
それからレタスなど洗いトマトを輪切りにして、
開店すぐのパン屋から買ってきたバゲッドをさくさくになるまでオーブンで焼く
という
朝めしを
「かっこいい」
と信じていることがすでに
私がまだまだ
“かっこわるい”
ことの証明に他ならないのだろう。それは分かっている。こと自分については物分りが早いのが長所だと思っている。
しかしベーコンエッグとはどうしてこんなにもかっこいいのだろうか
と、けさもかっこよくない私がかっこつけたくて作った朝食を、
誰も居ないというよりなにもない部屋で食べながら一日が始まる。