小説「サイフの中身」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

期待なんかしないままに、
冷蔵庫の蓋をはぐったら、とにかく牛乳と、いつだったかノリで買ったバターが一塊見つかった。
田舎から送ってくる段ボールの中に、
ジャガイモが3個のこっているのは既に確かめた。
たんぱく質と炭水化物だ。
人の肉体を創り動かす基本の要素だ。
問題は解決された。
とりあえずあと3日は、おれは生き延びられそうである。
もう買い物はしたくないのだ。
なぜなら今サイフの中には32円しか入っていない。
32円で買える食い物を必死でひねり出すのは、あまり賢い行為ではないだろう。
そうだと思う、おれは、きっと。
そして親父に談判したところ、向こうにもいろいろと都合があって、
最低3日経たないと仕送りは出来ないと言うことである。
32円とともに、おれは3日生きねばならぬ。
其処へ来ての牛乳とバターはこれは天佑というものだった。
ノリで買って見るものだな、とおれは思う。
金が無いという状態を湯船みたいに、
どぷりどぷり使っていられたあの頃を、別に悪くないとおれは考える。
「無い」
状態を知っていられるのは
運が良かったとおれは思っている。
「無い」
くらいなら良い。
それは「有るものが失われてしまった」という状況と比較して恐ろしくおれを支えてくれる現象である。
「あらかじめあったはずのものが、
突如消えてしまった。」
そんなことになるのはおれはいやだ。誰だっていやだ。
特にあったはずの金が突然なくなるなんて、
あえてそれを選択する生きかたなんて、まったくおれの理解のフェンスを飛越えている。
空想にも及ばない。狂気の沙汰である。
そういうわけでおれは金がないという状態にあって、
“あるものでどうにかする”
という姿勢をいつも心がけるようになった。
おれはジャガイモの皮をむいて適当に切って、水と塩を入れた鍋を火にかけて切った芋をぶち込んだ。
鍋はぐらぐら煮えて、
おれはぐらぐら煮続けて、芋の表面が少し溶けるくらいになるのを待つ。
鍋の水を捨てて芋をざるにあけてしまったら、
おれはすりこ木でぐずぐずになった芋を混ぜに掛かる。
ある程度形を無くしてしまってから、おれに残された希少なバターを惜しげもなく投入。
なおもすりこ木でぐだぐだに混ぜながら、
それでもちっとはなめらかな塊になってきたところで、
牛乳を少し、また少し注いで嵩をます。
専門的には「延す。」
こうして出来上がったボウルにいっぱいのマッシュポテトと水道の水で、
20代のおれは3日生きた。
辛いときの思い出というのは本当に不思議なもんで、
マッシュポテトなんて見るのもいやだ!
という心理と
なんか久しぶりにマッシュポテトでも作りてえなあ
という感情が、未だにおれの中にそんなにケンカせずに同居を続けている。