小説「踊り手」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

死に魅了される人間がたくさん居るのは知っているけど
死に魅了されるひとのきもちはちっとも分からない

と話す彼女は
でも踊りに取り付かれる人間の気持ちはとってもよく分かる!
と語った。
言葉の通り彼女は踊ることにそれはそれは囚われていた。
こういう言い方は現代あまりしないんだけど、
めくらとかきちがいとか、
彼女はまったくそのタイプに分類される人間だった。
彼女は踊りに狂っていた。否、
彼女は踊りに狂っている。これは自分が彼女に対してそう思う感情だ。
例えばレーシングカーという「機械」には様々な分類がある。
エンジンの規格だとか、
車の大きさだとか、
どんな距離を走るとかどんな道を走るとか、
どんなライセンスが必要かとかどんな人間が赦されてそのコーナーを奔るんだとか、きっと自分が理解していないもっと細かい厄介な仕組みが山ほどあると思うけど、
重要なのは自分がそれを理解していないこと。
それに見事に一致して、
自分は踊りというものの分類について何も知らなかった。
知らないにしても、彼女がスポットライトを浴びて多くのファンに崇拝されているような踊り手でないことは聞くまでもなく明らかだった。
ヒップホップダンスというのかジャズダンスというのか、
あるいはバレイダンサーとかストリッパーとか、
華やかさを売る「おと」だけ奏でる歌手の後ろで
「かさまし」するために雇用されているのだとか、
あるいはマイケルジャクソン、SPY、シンディーローパー?
何らかの新しさを見せ付ける踊り手でもなかった。
そして彼女のやりたいことは舞でもダンスでもなくて、
ひたすら「踊り」ということである。であった。
彼女は最初から最後まで
趣味を大切にするのでも、コンクールのチャンピオンを狙うのでも
まったく違う場所に居た。
彼女にとって踊りとは
金を稼ぐ方法だった。
彼女は常に、ショービズとしての踊りを追及していた。だから「舞踊家」というカテゴリがもっともふさわしいのだろうか。しかしそれは彼女の身が磨きぬかれた肉体のセンスを、
金を稼ぐ
という目的のために、もっとも発揮できない場所であることを、一体、
本人はどう考えていたのか。
彼女の踊りは自分にはわけの分からないものである。
わけの分からない踊りでも面白がって見に来る数人の人からお金を取って、
米も買わないような暮らしを続けながら彼女は踊り続けた。
自分は彼女が踊っているのを見たことが数え切れないくらいある。
自分は彼女の踊りを訳が分からないと先に言ったけど、
強いて言うならその時彼女は
彼女ですらない。
踊りなんである。
全身でもって彼女は“踊り”になってしまっている。
ファミレスの社員が制服を着たとたん“マニュアル”になってしまうみたいに、
舞台に立つと彼女のIDは消滅してそこには一個の
踊りだけが存在する
彼女という人間が消えてしまう。
そこにあるのは踊りという出鱈目な
“現象”なのだ。
つまり彼女は自らの全身をめちゃくちゃに使って、
踊っていた。
なので当然と言うべきかある日舞台上で、彼女の膝の靭帯が清清しく引きちぎられた。
そしてその瞬間、生涯お金を取るために踊り続けるという未来と彼女の現在が
叩き斬られたのだった。
ついでに言うとまったくの偶然で、自分と彼女の連絡も時期を同じくしてしばし途絶えることになる。
しかし膝の靭帯と希望ある未来が叩き斬られたショックと比べるなら、
自分との連絡が切り離されたことなんて、彼女の中でなんの重きもなさなかったに違いない。
夕飯をグラタンにしようとしてマカロニを買い忘れたほどのショックであったに違いない。
でも自分としては、踊り手としての生きかたを失った彼女の落胆は察して余るものがあり、
数年後再開したら当の本人がのうのうとテキスタイル作家に転身していたことに
むしろ怒りを覚えたくらいだった。
あんまりにも冷静に、否いっそ無神経に、彼女は踊りに対する当人の熱意を
無かったことにしていたのだった。
でも彼女はそういって憤慨した自分にこういった。
「だっておんなじことよ。」
彼女は、語りたい、語っていたい、語りたかった
のだと言った。そしてぜんぶのねっこは同じところから生えているのだといった。
「すべての生命がちんびくさいたんぱく質から生れ落ちたみたいに。」
踊りはメッセージだったんだから、と。
初めと終わりがあって、内容が篭められていて、
伝えないといけない誰かが居る。
「私はそういうことをしていられたらなんだって良かったのよ。」
と彼女は言った。
そして布地の柄を考える人間になったんだと言う事だ。
すべてのものにはメッセージがある。
だから何をするにしても言いたいことをぎっしりと詰め込みたい、
詰め込む何かを常に持っていたい。
数年ぶりに彼女が熱意を込めて語るのを聞いて自分は、
誰のどんな話も聞きたくない人間も居るんだ
ということを、ついうっかり言いそびれてしまった。