“桜木も
今年ばかりは墨色に咲け!”
と昔言った人があるそうな。その人は本当に大切な人を春に亡くした。
よく
世界がモノクロに見えた
という表現と出会う。あんまりにもショッキングで、
目の前が真っ暗、というやつか。
ありきたりな比喩とは思うんだけど、自分にもリアルに一回だけ、本当に、満開の桜が白黒に見えたことはあった。24歳で自分の体はうっとうしいほど若くて、「その問題」以外にも上手く行かないことばっかりで、“学校のせんせいのうそつき!夢なんて叶わないじゃない!”と結果の出ない八つ当たりをしたい気持ちが心に充満していた。
していたけどそんなの目じゃないくらい、私1人を残してその時世界は彩を、鮮やかさを失っていた。
白黒の公園の白黒のベンチに座って白黒の花を眺めていて白黒の人達が行きかう中、1人だけ色つきでいるのは情けなく、為す統べなく恥ずかしいことだった。
私は、自分にまだ色が付いていることを、恥じた。
まだ消え去ってしまえない自分を、嗤った。
今40近くになって、あの時の悩みなど実にくだらないものである。
だから仔細は何も書かない。おそらくあの時の自分の哀しみくらいのことは、どなたにも経験がおありではないだろうか。
私は小娘で、経験も情報も生き抜く智恵も持っていなくて、結局そのために世界が悉くモノクロームに感じられた。結局それだけのことだ。
否、
世界は今もモノクロームかもしれない。
大切なのは、今は私が世界の色と一致しているのを、ちゃんと知っていられるということだ。
ひょっとしたら今私には、
彩が、鮮やかさが失われているのかもしれない。
カメレオンの類が持っている能力の様に、背景の色に自分を併せているということなのかもしれない。
そしてそのことがそのまま、背景に捺した私の刻印だ。
私はあの時憎らしかった白黒の背景に、今自分をはんこみたいに押し当てている。
良い。
それでいいのだ。これは私が認知できる範囲においての、
貴方に対する好意のかたちなんです。