小説「花にも莫迦は居る」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

暴発している。
限度も何も合ったもんじゃない枝も、
向こうの木でも、どこを見ても賑やかに華やかに、
開き散らした花を見ていて。
スパークしている。
と自分は思った。
一本一本木として見るから立派だけども、
花、咲いている花冠のそれ一つは
実にちっぽけに過ぎる。
そのみみ小さいのがどれをとっても自在の命であるように、
五月蝿いくらいに咲き騒いでいるように見えるのだった。
解き放たれて羽目を外して、
絢爛にも程がある。
蛸の、生れ落ちるまで雄(雌?)がにじりとも動かず守る卵、
それが時を得て一斉に孵るように、
ざわざわざわざわと煩雑な命が
その一生の絶対の「今だけ」を泣き喚いているような姿を見ていると、
きれいも華やかも自分の中でとっくにリタイアして
ただただ胸焼けしてくるようだった。
しかし師匠にはこういう桜林公園の「真っ盛り」が、
自分とは全く違うように見えているのだった。
否、意図的にそんなふうに捕らえるよう、
「目」が出来上がっているのだった。
「うん、こげんなんは、よお咲いている。」
師匠が持っていた杖を左手に持ち替えて、並べてみると判別が付かないほど
“樹木”
になった自身の右の指指をぞりぞりと木の身に沿わせて行った。
師匠は経験でいうなら国内屈指の樹木医である。
「先生、隣のあれの方が枝ぶりもよくて日もよく中っていますけど。」
と自分は“いつもの”見当はずれなことを言う。
「ありゃあ阿呆の木だ。よお見ろ。
木を見るように見るな。
木であない。“こいつ”を見るように見い。」
木で見るな。
と、これが師匠の口癖である。
「お前は人か。」
弟子になった当初は毎日こんな風に睨みつけられた。
はい、というと吐き捨てるように言われた。
「お前がヒトなもんか。」
要するに、ヒトにも一人一人違った個性や人格があるように、
樹木にも、
同じ親木から挿し木にしたとしてもそこに異なる性質や生きかたの癖があるのだから、
だからどの木を相手にするときも、
“木”として見るな、ということだった。
“患木”としてみろ、ということなのだった。
「こりゃあ、花の開きが遅い、遅いちゅうのは、ひらいとるんとまんだのがある。
今年は雪が少ないだったけえな。
枝が折れとらんぶん、花をようけ付けとるのが多い。
冬に雪が降らなんだ次は、どうなる。」
「地下水の貯蔵量が減ります。」
自分がそう答えると、師匠はハンっと鼻息を鳴らして、
しかしこれは自分の答えが正しい時も間違っている時も師匠が同じくする反応なので、これだけで師匠の腹を読むのは、自分にはまだ無理。
「夏の分の水が少なくなっとる。それがわかっとる木は、
恐々として咲いている。
こらあ数を見んとどげんもならん。お前もせいぜいよけこと見い。
あっちの、あの、いかにも真っ広げに咲いている、ああいう、
ああいうのは、阿呆の木だ。」
師匠は杖を右手に持ち直して、さらに桜林を奥へと進んでいった。
花とはまったく関係ない人達が賑やかに弁当を広げているのだが、
それがことごとく同じ仕様の作出しの皿盛りなので、
何かしら業者と提携があるのかなと思ったりする。
カニの甲羅を使ったグラタン、助六寿司、冷えた揚物、ハムの盛り合わせ。そしてとにかくの ビールビールビールビールビール。
「花木にも莫迦は居る。」
師匠は実際杖の必要なんかないんじゃないかと思うほど
さっささっさと歩きながらこういった。
「なんぞ人間の莫迦が珍しいわけが無い。
莫迦はそれ自体が自然の一部だ。
土でも川でも、およそ莫迦をしないもんがあるだろうか。
川が阿呆になるのを考えたら、
ヒトのする阿呆なんぞお話にもならんちゅうことよ。」
師匠はさっさっさ歩き続けた。