小説「ジョセフィーヌとマリアベール」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

かなり長い間思い出すと全身ぞわぞわになった。
都市伝説だった。
子どもの頃「白い双子」と言う噂が学校の中で流行っていた。
お揃いの真っ白でひらっひらなドレスを着て
金色の髪を巻き巻き盛り盛りにした二人の女性が
公園の噴水に並んで佇んでいたり
なんというでもなく寄り添って歩いていたり
バス停のベンチにじっと座っている
というのが大まかな内容だ。
だからなんだという話なのだが、とにかく小学生の時地域にそういう噂があって、そして小学生というのはそういう無意味な噂が大好きでたまらないという
そのこと。
本当に双子なのかは知らない。分からない。
でも私達は白い双子のことを
「ジョセフィーヌとマリアベール」
と呼んでいた。誰が言い出したことだったのだろうか。
根拠は間違いなく安易なヨーロッパのイメージである。
当時の白い双子のような格好を見たら、
私達は無条件にフランスを連想した。
派手な、華奢な、金だけかかってそうな姿。
しかしそういう、奇妙に派手で無意味なかっこうの双子(じゃないかもしれないけど)
というだけなら、そう尾を引く噂にはならなかったはずだ。
そう尾を引く噂になっていたからには、
白い双子にはもう一つ賦課すべき特徴があった。
それは
“ジョセフィーヌとマリアベールの
顔を見た人間はいない”
というものだった。
どういうわけか白い双子の目撃情報は、
すべて後ろ姿だったのだ。
街歩きしてても、公園でだらだらしていても、
みんな豪華な巻き毛の後ろ頭や
レースのひらひらの背中とお尻
の話しかしなかった。本当に顔を見たことがある人間が居なかったのか。
居たとしても誰もそのことを喋らなかったのか。
ともかく後ろ姿の情報しか分からないので、こういうことがまことしやかに言われる。
“ジョセフィーヌとマリアベールの顔を見た人間は呪われる。”
ところで私は一度だけジョセフィーヌとマリアベールの実物に遭遇した。
放課後近所に住んでいる同級生の家で宿題しながら遊んだ帰り道だった。
ライオンの銅像があるからライオン公園
と呼ばれていた場所のベンチに、
白いドレスの金髪頭が並んで座っていたのだった。
「ジョセフィーヌとマリアベールだ!
ほんとにいた!」
と私は思った。衝撃だった。
地方都市の夕方の公園にあまりにも異彩を放つ色の無い麗体。
ジョセフィーヌとマリアベール(という名前のはずがないけれど)
は本当にそっくり同じ背成り、
そっくり同じの金髪と純白ドレスの姿のまま
身じろぎもせずに公園のベンチに座っている。
私はまたとないチャンスだと思ったのだ。
なんのチャンスか、どんな顔をしているのか見るための。
顔を見たらどうなってしまうのかという噂よりも私は
一体どんな人たちなのか
ということそれ自体にずっと興味を引かれていた。
私はジョセフィーヌとマリアベールの北側の入り口にいたので、
顔を確かめるためには西側の入り口のほうに回り道をしないといけなかった。
ジョセフィーヌとマリアベールは相変わらずだらっと無口に座ったままで、
私は何も考えずとことこと近づいて行ったのだけど、
もう絶対はっきり見える位置に来たら逃げようが無かった、
現実から。
ジョセフィーヌとマリアベールの顔は、
マネキンだった。
デパートに並んでおばさん服を着ているような、
妙にきらきらした目でなに人かさっぱりわからない顔立ちの、
傷一つない艶やかな肌、当然プラスチックに塗装を施したそれの、
冷たいような硬いようなきりっと不動のお顔立ち。
ジョセフィーヌとマリアベールの顔はマネキンだった。
私はもう
「いやーーーーーーーーーーーーーー。」
と叫んだきり、ぎゃーぎゃー、とわめきながら全速力で家に向かって走ったのだった。
それ以外に何か出来ることがあっただろうか。
その後三日くらい学校に行けなかったり、
婦人服売り場のあるフロアには絶対に近づかない癖が板についたまま成長したのだけど、
あれは多分、人間が顔にマネキンのマスクをつけてああいう扮装をして居たんだと思う。
白い双子が並んで歩いているところを見たひとが居るのだから。
あのとき私が思い込んだように、
マネキンが並んでうろうろ歩いていたはずが無い。
だからと言ってなんの解決策にもならないけれど。一体なんの目的で、大人の背丈の人が二人してあんな真似をしていたのか。
知る手がかりは皆無だ。
そして私がかなり大きくなるまで、
街を並んで練り歩く二体のマネキンがいるんだという恐怖の妄想に捕らわれたまんまだったということ、
大切なのはそのこと。