小説「鍵盤式からくり人形」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

父は家にいないことが多い。
旅芸人をしているからだ。
どさ回りなんて僕は考えない。父は純粋に、
自分のパフォーマンスを1人でも多く、
くっつくくらい近く目の前で見せてあげたいから、
一年の大半を1人きりで過ごすことを選んだのだ。
父は1人で興行する。
トラックを運転して。
山とか川を越えていきながら。
父の使っているトラックは廃業したパン屋さんから譲りうけたものだ。
荷台のボックスを改造してある。
リア部分の引き出し戸を開けると、ピアノとそっくり同じ鍵盤が
飛び出す仕組みになっている。
そっくり同じというかもとはピアノだ。
持ち主の無くなったピアノをばらして、父が自分なりに組みなおしたものだ。
右横腹には観音開きの木の窓が取り付けてあって、
そこを開くと空色というには03時みたいな青いカーテンが掛かっている。
そしてそれを
しゃっ
と開けてしまうと、
父がアッシュコークスくんと名づけた人形のステージが始まるのだ。
アッシュコークスくんは父の弾くピアノに合わせて
軽やかに踊り、かつ苦痛や恐怖に振嘆する。
彼自身がこの世界全部の喜びも、
この世界に存在しているどんな不幸でも、
居のままに動き表すことが出来るのである。
アッシュコークスくん自身は単なる木で出来た人形だ。
(といっても父が丹念に自分で削り出したれっきとした生物由来人形なのだ)
アッシュコークスくんの身体は一本の棒とクランクシャフトで自由を赦されたまま拘束されていて、頭と手足と、あと少し腰とか脇から、針金が伸びていて父のピアノと繋がっている。
こんな仕組みになっているのだ。
父が鍵盤の何かの音を鳴らす、
するとハンマーが打ち下ろされ、それがステージの下部に組成されているギアのどれかに伝えられる。するとそのギアがまた別のギアを動かし、さらにまた他のギアを、
ということを繰り返して、
アッシュコークスくんの例えば右足がぴんと伸ばされるというわけなのだ。
つまり、鍵盤がどんな音色を奏でるかに連動して、
アッシュコークスくんは無限に異なる動きを演じられるというわけなのである。
ギアの組成は父が自分で思いついて自分でひとつひとつ組み上げたものだ。
その形、働きのなんていう複雑。
僕には、一度すべての説明を受けたのにも関わらず、その理論というのか因果関係みたいなものがさっぱり理解できない。
大きさも角度もあまりにも多様で、言ってしまえばぐちゃぐちゃにもほどがあるギアの群れ、
ダイダロスの迷路とかバベルの図書館とか、
“逃げ出せない”
という畏れを僕に持たせることに関してこれ以上効果的な物体は無い。
でも父に言わせると
「この程度の手際で解明できることなんて
あんまりたくさんありすぎるから、
私は却ってこの世に生きてて良かったと
思うんだよ。」
だそうである。
目下父はアッシュコークスくんの相棒をつくってやろうと画策している。
人形二人によるステージで新装開演しようというのである。
名前はガーベラアゴットさんとかそういうものになるらしい。
そうなるとせっかくの迷宮はお役ごめんになってしまうので、
のこらず解体して、
また最初から、小さいのから大きいのから複数面のから
ありとあらゆる種類のギアを組みなおしていかなくてはならないのだろう。
その設計図を楽しく頭に空想しながら、
今も父はどこかの町をトラックで1人走っている。
音楽とダンスと金属部品で頭のなかをかちゃかちゃ言わせながら、
孤独で、楽しそうに、
のんきにふんふん言いながら。
そういう
そういう空想を抱き続けていられるならば
僕自身の父親がいないという現実は、
その空想のもつ匂いとか包括力に比べたら、
僕自身の現実の嘘に比べたら、
ほんとうにほんとうにほんとうにほんとうに
意味の無い下らない話だ
そう思って、安心で幸福でぬくぬくとして
僕は布団の中に居る。
今夜も1人。