仕事の性質上こういうタイプの訪問者は珍しくない。
向こう側の一人がけソファに座った今日の相談者、
仮にSさんは、ひとしきり話し続けてさすがに疲れたのか、
なんとなく呆けたみたいに肩で息をしている。
自分は「婦人なんでも相談室」
という自治体が支援してNPOが運営している相談センターで
悩みを抱えたご婦人方のターミナルになるべく
日々いろんな話を聞いている。
ターミナル→拠点 というくらいだから、
私がなんの役にも立たない相談内容も、
多い。
夫と離婚したいけど具体的にどうすれば分からない、
といわれればしかるべく法律事務所の番号を教えるし、
どうも舅がボケたようなんだか一体どう接したら、
と言われれば保健所や病院の住所を教えると言ったように。
そんなことをしていると、
案の定怒って帰るおばさまも多くいらっしゃる。
来てそんしたわっ
と華々しくドアを閉めて、彼女は永遠に私の仕事の向こう側へと
消え去ってしまうのでした。
しかし、そういう質問も多くある中で、
本当にこの相談所が必要とされる理由と言うのは、
みんな話し相手を求めている
と言うことなんだと私は思うのです。
毎日の暮らしに忌憚無く話せる人を持たない
中年以上の女の人達。
家族にも心を開けない、友人はまして居ない。
そういう女性の中に、
Sさんみたいなことを相談に来るケースが最近多いと先輩相談員は話している。
Sさんの訴えは、
「娘が自分と会ってくれない。」
というものだった。
これはまったく私の推測なんだけど、
Sさんも含めて、あんまり器用じゃない女のひとが多いんだろうな、と思う。
Sさんは一人娘の子育てにそれはそれは力を掛けてきた。
ちょっと昔の教育ママ、とは異なり、
娘の夢のために手となり、時には踏み台にもなりながら、
出来る限りのことをして育ててきたのだ
(と、Sさんは半ば興奮して言った。)
そして、最近その娘が自分と会うのを嫌がり、
強いても連絡を取ろうとした結果、
結婚相手の男が、しばらく(Sさんの娘)に近づくな
と言ってのけたという。
器用な人と言うのも確かに居る。
子育てもそこそこにやりながら、自分の仕事や人間関係、
趣味にも大いに時間を掛けて、
満足して年を取る人も居るには居る。
でもそうじゃない人も居る。
Sさんのように教養もあり、社会人として立派に分別を持った女性は、
自分も何かをしなければならない、でも一体何をしたらいいのか分からない、
そう迷い、迷った挙句の結果としてすべてのエネルギーを子どもにつぎ込んでしまうのだ。問題の理由を探すなら、だいたいそれで構わない。
Sさんは娘の結婚相手の対応に甚だしく怒り、
あいつは娘を洗脳した、ウソを吹き込んで私たちを仲たがいさせ、私から娘を奪い取ろうとしていると熱く語る。
私はそれを聞きながら、
ああこの女性は、本当に子どものことを自らのたった一つの喜びとして、生活の柱として、何十年と生きてしまったのだろうなと哀しく思う。
なぜって子どもは大きくなるから。
いつまでも赤ちゃんなわけじゃない。
ずーっとママとは一緒にいられないのだ。
Sさんは当然それが分かっている。
分かっている自分を、必死で認めまいとしている。
だってそんなことをしたら、Sさんの人生がもろとも
ぱちんと弾けて消え去ってしまうんだから。
沸き立ったヤカン、パンパンに張った風船。
そういう、怒りも困惑も哀しみも何でもかんでもパンパンになったこの人を落ち着かせるために、まず何をしないといけないか。
一番聞きたい言葉を掛けてあげるのだ。
どんな相談員でも、絶対の能力。
相談にきた人間が、何を言ってほしいのか見抜くこと。
「Sさんは、お嬢さんにお会いできないのが、とても寂しくていらっしゃるんですね。」
こういう当然のことに、しゅうしゅう言っている本人が一番気付かないものだ。
娘に会えないのが寂しくて、哀しくてしかたないんでしょう。
私は重ねてそう言った。
その瞬間、Sさんに穴が空いた。
注射針みたいな極ほそい針で空けた、本当に穴かも定かでない、小さな小さな破れ目。
その穴から、Sさんの深い深い哀しみが、後からあとから零れ落ちる。
さみしい
さみしい
さみしい
さみしい
さみしい
これがお腹に溜まっている間は、どんな話も聞いたり聞かせたり出来ないのです。
Sさんの涙が全部出切ったあと。
私たち相談員が本当に仕事をするのは、実にここからであるのでした。