さすがにもう廃れて、どこの家もやらないだろうが、
自分が7歳の時弟が生まれて、
その席に居たことは今でもはっきりと記憶に残っている。
父はその不思議なおこないを
「子取りさんをもてなす」
と自分に説明した。なんのことか分からなかったが、
実際どんなことがあったのかについて、
それは永い間自分の深い心中にうすら温い、
傷んだ水が臭うような、
言いようの無い畏れとして留まっていた。
弟が生まれて三日目だっか、八日目だったか。
とにかくどちらかのはずだ。必ずその日に行われていたはずだから。
自分の生まれた地域の風習で、
昔から生まれたばかりの赤ん坊が
死なずに大きく育つように祈願してそういうことをしたらしい。
子取りさんをもてなす席に参加するのは身内の男だけで、
産後の母と弟は、祖母や小母や従姉たちと別の部屋に一塊でことが終わるのを待っていた。
盆や正月に客をする十畳間に、膳が三つ用意される。
多分口取りとか煮物や魚、それにめし物と汁物だったと思う。
そして酒。
食べ物がすべて整うと、一族の男はみんなして十畳に集まり、
雨戸を閉めて、電灯も消された。
すでに日は暮れて、自分は父と伯父さんに挟まれて座っていたけれど
それぞれ
「居る」
ということくらしか分からないほど、部屋は真っ暗だった。
なんとなく、何も話したらいけないんだろうな、と黙って座っていると、
やがて厳かに祖父が言った。
「さあさ、よお来てごしなった。たんと呼ばれてつかんせえ。」
誰に対していったのか分からない。
祖父は昔風に言うと家長で、家中で一番大事にされていたから、
逆に家の誰に対してもそんな優しい口を利かない。
その祖父が、地方の言葉だが、かなり上等に挨拶するのは、
なんだか奇妙だった。
そして、ぺたり、
と言う気配を自分は確かに聞いた。
ぺたり、ぺたり、ぺたり、ぺたり、
畳は古くてイグサはつるつるしていた。
そのうえを、おそらく誰かが裸足で歩いている。
ぺたり、ぺたり、ぺたり、
ぺたり、ぺたり、ぺたり、
ぺたり、
膳のある辺りに腰を下ろしたようだった。
かたり、かたり、
ことこと、ことこと、
椀の蓋を取ったり、箸を使っている音だったろうか。
自分は短パンの端をしっかり掴んで、手に湧いた汗ごとしっかり掴んでいた。
はう、はう、はう、はう、
と息が聞こえる。
真っ暗な中に。
ことこと、ことこと
はう、はう、
準備された食事を、何かが平らげているのだろうか。
ずいぶんゆっくり食べていたから、二時間も三時間もそうして暗い中に座っていた気がしたが、終わってみると実際ほんの三十分ほどでしかなかった。
頃合を見てまた祖父の声が聞こえた。
「気に入んさったようで、けっこうでござんす。
よおけさしあげましたごて、今日はこれでこらえてつかあさい。
こんどめまたなんぞこしらえましょう。」
それでお仕舞い。
みんな次々に立ち上がって、灯りを点けて、
やあ済んだ済んだと言いながら、空になった膳を片付け始めたのだった。
僕はずっとぼんやり座っていたけど、それに気付いた伯父さんが近づいて、
「よおこらえたこらえた。」
と頭をぽんぽん叩いた。
「子取り」は生まればかりの赤ん坊を好んで食べる鬼なんだそうだ。
鬼というと節分の豆まきみたいに、護符を貼ったりして退魔するのが一般的なんだろうが、
自分の地方ではこんなようにしていた。
悪いものだからと邪険にせずに、逆にもてなしてご馳走をあげて、
それで機嫌をよくして帰ってもらう。
大切な子どもを守るために。
おそらくあの時親戚の誰かが鬼役をして、膳のものを飲み食いしていたんだと今は知っている。
でも自分は7歳だったから、
鬼は本当にやってきたんだと、それはもう強く信じていた。
それはサンタクロースを信じるのよりもうかなり強かったのだった。
そして子取りもてなしの習慣はもう廃れてしまってどこの家でもやっていない。
だから自分は、
おそらく子取りはどこかに解き放たれていたんだと思っている。
さて、どこにだろうか。