彼はネカフェのブースが好きだった。
小さいころから
「なぜそんな」
という隙間にもぐりこむのが好きだったと聞かされている。
彼でなくても子どもは隅っことか籠とか箱とかの中が好きなものだ。
体内回帰願望とか言われる。
だからかどうか、どうでもいいことだけど彼はネカフェのブースが好きだった。
というか時間を持て余すとネカフェくらいしかすることが無いのである。
これと言って趣味嗜好を持たない人間にとって、
ネカフェはとてもいい環境なのだ。
とりあえず漫画がある。とりあえずDVDがある。とりあえずネットが使える。
「とりあえず」なにかは出来る。
なにかをしていれば、とりあえず時間を潰していることはできるのだった。
彼は仕事帰り、よくネカフェを利用する。
ドリンクとフードを使いながら「三国志」を上から下に読んでいく。
そんなふうに言うと家庭に問題を抱えたサラリーマンみたいだけど、
実際そんなことはなくて、
ただただ彼は、人生に覇気となすすべを持たない一己の若者だった。
此れと言って欲求はないのだけど猶絶望もしていないのだった。
彼に必要なのは、
ただただ時間を潰していることだった。
時間は本当に山ほどあって、正直彼には持ち重りしているのだった。
ネカフェの後彼はかならず屋台に立ち寄った。
半分鉄板、もう半分でおでんを煮ている屋台だ。
その鉄板で蒸しあがったように「いい感じ」のじいさんが食い物の守をしている。
鉄板では櫛にさした鶏肉とかを焼いてくれるし、
おでんの具を頼んで鉄板であぶってもよし。
かれは屋台ののれんをくぐると、まず燗を一本頼む。
そして大根とあつあげを鉄板で頼み、玉子を皿でもらう。
じいさんが燗を仕込んでいる間、彼は玉子を割って中の黄身を出汁で溶き、
適度に焦げた大根を、出汁黄身にまぶしておそるおそる口に運ぶのだった。
じいさんは愛想がいいけど、特に何も言わない。
ぜんぶ皺じゃないのか
というほど顔をだいたい皺しながら、もくもくと食い物の番をしている。
別のスーツがのれんをくぐってきた。
スーツ男はすでに隅っこのほうで飲み食いしている彼を知ると
さーっと血の気が引くような気配をするのだけど、
どうにか驚かずに
「ビール。」
と小さな声で言った。
「筋が良く煮えてますがな。」
とじいさんが言った。じゃあそれも、とその客は言った。
縁台のそっち側で、窮屈に飲みだした客に対し
なんだか気に咎めるものを感じたので、彼はぱぱっと会計をして
のれんの外に出て行ったのだった。
彼が去っていくと縮こまってビールを啜っていたスーツ男はやっと辛抱たまらぬことを顕にして、
「大将、さっきの人…!」
「ありゃ、あんたあ見えんさったかあ。」
じいさんは落ち着いたもので、まっさおな客にサービスのコップ酒注いでやる。
飲み口を噛み千切りそうな客を落ち着かせるためか、
じいさんはゆうゆうタバコ吸いながら話した。
「死んだひとはあんがいその辺に居るもんでしてな。
人ちゅうのはなにするにも人がおらな自分が何しとるか分からんもんです。
けんど今は便利な世の中ですけえな。
人あてにせんでも何でも一人でするひとがあるですが。
人に聞かんでもいいですけえな。
だけえ、自分が死んどるのに、気付いとらんもんが割りにおるです。
人が教えてくれんですけえな。
人が教えてくれんですけえ、まんだ生きとるつもりでおる。
わしはそういうもんにも酒は出すですけど、
さっきの若い人も、実際どこで死んどんさるのかは、
それは分からんです。
だからしようもない。」
とじいさんは言った。
のれんの外に、ひゅおっと旋風が啼い。
でも、それはこの世の夜の息だった。