「久蔵が死んで生まれたあなた」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

映画「永遠の0」
がたいそう評判がいいと聞きまして。
自分は原作も劇場版も知っているわけでもなく、
感動している人様の様子になんか疑問を感じるという程度なので
意見するということが間違っているのですが、
まあつたない主張ということで大目にみていただければ。

作中で宮部久蔵氏(名前あってますか?)
は特攻に志願し戦死なさったということでしょう。
若い奥方と令嬢があとに残されて、
その後再婚されたのではないかと、
知識がないのでそんなふうに思うのですが、
宮部の死後奥方が再婚された。
そういう事情であるなら、
宮部が死んだことに依って
この世に顕れた命もあるのだ

ということでありましょう。

同感を得ることには
それが自分の出生でもあるからなのです。
先年、「クソ」がついて丁度くらいの
父の母親が90くらいで死んだのですが、
「クソ」がついて丁度くらいのうちばあさんは
推定年齢十代後半でK某氏と結婚した。
K某氏は出征して沖縄に送られて、そこで戦死なさった。
沖縄の戦没者慰霊碑にK某氏の氏名が今も刻まれてあるのを、
自分も目にしています。
後に「クソ」がついて丁度くらいのうちのばあさんは祖父と再婚して、
その結果父が生まれて
その結果森本泉が生まれたのです。

乱暴でも
K某氏がなくなられた結果
森本泉が出生したということになるのでしょう。

戦争という
大規模な人の死というのは
こういう事実でしか計れないと、
不遜でも自分は思います。
K某氏が無残に亡くなられた事を
森本泉として悼むことが出来るのかとか、
自分はそういうことを考えるのです。

戦争で
大規模な出来事で人が死ぬ時に、
いつまでも身近な人を哀しむことにとどまるのがオッケーなのか。
映画「永遠の0」
について自分はこういうことを考えました。