小説「螺子を集める人と、締める人」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

ものすごく難しい材料ばっかり集めてきて、ものすごく単純なことを考える
と言って、夫が嘆く。
私はうっかりはちべえくらいの気持ちで、てへへ、と言って見せる。
そして夫がまた悲しい顔をするのだった。
ため息ついてオンラインゲームの世界に戻っていくのだった。
リアルタイムで進行する代わりに、「ステイ」の時間を取られるので、
その間は相手してくれるのである。
あなたは素材に何を使うか拘り抜くくせに、
出来上がるものがもっすごいふつーなんだ。
と言って夫が嘆いた。
学生時代ポラロイドカメラを使っていて、キャラ名を付けていた。
「とらじろう」
なんでその名になったかというと、せっかく買ったカメラ、
大事にしたいから名前を付けよう。なんて名前にしようかな

ポラロイド→ろいど→フランク・ロイド・ライト→フランク↓   
とらじろう  ←← とら ←シナトラ ←フランク・シナトラ
というわけで「とらじろう」という名前にしたと言って嬉々と報告したら、
そこまで回り道して、その名前か
と言って夫が嘆いたのだった。
確かに私は、要らんこととかどうでもいいことを考えるのが好きだ。
消費税が8パーセントに引き上げられる。
物価が上がっても賃金が増えなければ、結果として消費が落ち込んで
景気も落ち込むのに、なぜここにおいての増税か
と夫と一緒になって怒るけれど、さりとてじゃあどの政党に
票を投げるかとかは夫の方が専門である。
私はそういう「現実的な」事柄に関しては
誰が何をやっても同じだと思ってしまう。
だからこそ、宇宙のかなたとか歴史のかなた、
そうでなくても地の果てで起きていることに時間を掛けて要らんことを思っていたい。
そしてそういうことが理解できないといって夫が嘆く。
彼に言わせると、私は「螺子を集める人」なんだそうである。
ラジオを作ろうと思って材料を買いに行ったら、
螺子ばっかりいろいろ買ってきて、それで満足してしまう人なんだそうである。
うーん、言いえて妙である。
そしてかつて私が竹でログハウスを作ると宣言しておいて
雨どいさえ作らなかったことを言っているのだそう。
実際その時も釘うちとノコは買ったのだ。そして実際買ったことで満足したのだった。
対して夫は、「螺子を締める人」だと私は考える。
「螺子」は「締める」ためにあるのだと考える人なのだと私は夫を思う。
なんのために螺子が必要で、そのためにはどのくらいの大きさでどんな素材で
(湿気こむ環境ならばステンレスを、重いものを支えるなら耐久性重視で)
コスト的にいくらまでなら利益と折り合いが付く
などなど考えて螺子を買う人だ。
彼にはあんまりに突拍子も無い形の螺子はなんの意味も無い。
世界的前衛芸術家が、一日中螺子穴に螺子を回しこみ続ける
というパフォーマンスを理解しない。
私はそういうことをとても寂しいと思う。
そして夫もそういうことをとても悲しいことだと思っているだろうか。
買い物に出かけたホームセンターで、私は天を仰いでいるような気持ちになる。
春の野原でお茶のポットを傍らに、くっつきむしや枯れ草のなごりや、
あっちこっちくっつけながら、ごろごろごろごろころがっているような気持ちになる。
高い高い天を覗いている気持ちになる。
斯くも隔たった私のあなた。
高い天からちっぽけな生き物を見下ろして、
その行いの愚かを嘆くでしょうか。
と思うけどそんなことはなくて、
服が汚れるからいいかげんにしなさい
と、夕方には迎えに来てくれるでしょう。
私は空気を呼吸するように夫の醸す「気配」中で安寧する。
そういえば、天は空気をいくつもいくつも
高く重ねてそうして形されているのでした。