小説「朝の風景」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

一度、今だけだから、と思って適当にばらばらな靴下を履いていたら、
そのまま出勤してしまってえらいめを見たから以来気をつけている。
寒い。
昔は氷のような床の上でもはだしで歩いてなんともなかった。
今はもう無理。年を取ったというならこういうことに現れてくるのだ。
朝は流れ作業だ。時間がかかるものから順に手をつけるのがポイントだ。
私はコーヒーメイカーを2杯分セットし、トースターにパンを入れる。
フライパンを温めて、ベーコンとたまごは弱火でじっくりと焼いていく。
その隙に洗面所でざっと顔をやってしまって、
コーヒーが香りパンにバターを塗って冷まし、缶詰の果物を開ける頃には
たまごが夫の理想的に半熟になる。(私はもっと固めが好き)
そして、とろんとぼよんと疲労した夫が起きてくるのだ。
おはようー
と私は声を掛ける。ここ10年でめっきり夜帰ってくる時間が遅くなった。
朝に疲労が残っていない日というのはまず無いのだった。
最初にお水飲む?
冷蔵庫の扉に手を掛けて夫に尋ねると、
彼はひよこみたいな『白』のない目を作り出し、
ごめんなさい
と小さい声で言った。
ああー。はいはい。
はい、夕べはそういう日だったんですね。
夫は女と遊んで帰って来た翌朝は、かならずこういうのだ。
ごめんなさい
いずれはばれてしまうんだから、いさぎよく謝ったほうがいい。
否、
いっそ正直に謝って事実関係を認めておいたほうが、
向こうが怒るに怒れないという、
経験から彼が導き出した姑息な手段である。
とにかく最初に顔を洗っておいで
と私は言う。
やれやれ。女遊びした後の疲れ方も年季が入ってきたなと思う。
私はまだ、夫の中で謝らないとやっていられない位置に夫の中であるらしい。
夫の中でそういう位置にいるらしい。
それが分かっていればいいの。
大切なのは自分の居場所を理解しておくこと。どんな時も。
座標を確認するように。
道に迷わずに歩いていくためには、これはとても大切なことだと思うから。