ある日茄子を焼きすぎた。
加減を見ようとグリルの扉を開けてみたら、もう立派に言うこと無いくらい
茄子はくろっこげになっていた。これはこれで剥きやすくてよい。しかし中の身は素晴らしくぐずぐずである。
子どものころ焼き茄子が好きでなかった。
結婚したら夫が食べたいというので、作って食べるうちになんとなく気に入った。
子どものころ家で食べさせられた焼き茄子はどういうわけか煙臭くて、
それは焦げ臭いのに似ていてしかし顕かに違うものなんであり、
私は煙を食べさせられているようななんとも言えない気持ちになった。
絵本に出てくる、工場の排ガスにやられて泣いている小鳥やうさぎが思い出されて、
だいぶ事情が違うだろうけど自分としてはたいへん近い気持ちで、
つまりは理不尽に胎を煮やしていたのだった。
今日の茄子はどうしてこうもまっくろこげになったものか。
そして中の身はなんとぐずぐずになっていることか。
私はふと、人間でもおんなじような姿になるのは
よくあることだなあと思う。
外見は真っ黒に焼けてしまって、且つ中のニンゲンは今にも解けそうにどろどろになっている。
茄子であることならば、こうして今の私のように旨い酒のつまみにして、
今夜の下らない一杯の道連れにしてあげられる。
しかしそれがニンゲンとなればこれはどうにもならないだろう。
外見は真っ黒、中はどろどろ。
これはもう仕方ない。お疲れ様です。こう言うくらいがせいぜいだ。
だが私は違う。
私の外見が黒こげで、中がすっかり爛れてみよ。
私は自らの黒くなった表皮を上手にはがして、その中にあるどろどろで旨いこと酒呑んで見せようぞ。
私は下らない人間である。
下らない人間なので、下らない人間が良くある困難に捉まったことを
ひとさまに笑われることなど今更痛くも痒くも無い。
今日のお皿に乗っているのが、
しっぱいした茄子の焼き物だろうと危機に陥っている今の自分だろうとそんなことはどうでもいい。
どんな時も何が起こっても
今日の酒は今日に呑む。
でもないことにはとてもやっていられないでしょうが。