語りかけるというジレンマ | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

なんの時だったのか、記事やコラムみたいな小文を書くときには、
「不特定多数の誰かに対して書いてはいけない。」
と言われた事があった。
なんの時だったのか。

言わんとされた意味は、
「たった一人の誰かに語りかけるように書け。」
つまり
「読んでくれるひとをそれだけリアルに想像してかけ、
どんなヒトに読んで欲しいか対象をリアルにサーチして記事を作れ。」

ということなのだ。

だから心がけているつもりなのだがとても難しいです。
それについて言い訳を↓

もう大分ながいこと、言語を選んで文章を練って文脈を構成する行為は
純粋に自分が自分のために行っている
全くの自己満足だったからです。


私は人間がだいぶあれなものだから
学校行っている間同級生と忌憚なく話せたということがまずなかった。
しかし考えることは、
とめどなくあほみたいなことを考え付くので、
そこから生まれ来る自己顕示欲みたいなものを満たしてやるには
脳内で自分と会話している以外に手段がなかった。

言語はわたしが私と会話するための最善の方策でした。

だから私が文章を綴る時にそれをどんな誰に向かって語ったらいいのか
そのピントが絞れていないのが苦しいところです。

否、
誰をとかどんなということを考える以前に、
おれはきっと「人間」というものに
そもそも対して興味を持っていない。

越し方を省みればおれにとって魅力てきに動き興味関心を引いてくれたのは常に
紙の中に生きているヒト達だけだったから。

あ。そうか。

ならばその紙面に生きる人に話しかけるように書いていけばいいわけですな。

↑あ。

こんな感じで私は書いてるとどんどんいろんなことを考えるから、
最低限なにかは思いつくのがとてもありがたいのです。

と言うわけで、
小説の人物に語るように書くのだー。