中学まで家が近所でよく遊んでいた仲間数人がいて、
中学まで同じ学校だったんだから今でも時々会って呑んだりしている。
もう全員はげたり腹が突き出すような年になったから、いいかげん時効ということでもあるので、
酒が回るとよく口に登るネタではある。
我々は小学5年の時にどうも不可解な事件を引き起こして、そしてそのことを
我々だけの秘密にしような、と「ゆうじょうをちかいあった」
5年生の秋我々の間に流行っていたのは、火つけ遊びだった。
面白半分にライターを持ち歩くのがどうにもかっこよく見えた年代で、
空き地や土手に集まっては枯れ草やくしゃくしゃになってプリントなど持ち寄って
燃やして面白がっていた。
当然、見つかって親教師にこっぴどく叱られた。
秋だった。
空気が乾燥してたし、大変危険であって、それに子どもがやたら
火をつけて遊びまわっているのだから大人が怒るのが道理というものだ。
今の我々なら叱責する側に回るだろう。
でも10歳の子ども達にとって炎が上がって形をとどめず燃え続けているのをみているのはなんともいえない恍惚な感じがして、
一度覚えたその楽しさを、そう簡単に諦めることは出来なかった。
10歳の子どもの発想はまことに単純で、
「じゃあ見つからないところでやろう。」
ということになった。
我々は大人がまずやってこないような、まず一目に付かないようなところを探した。
そんな場所を探していたから、自然賑やかなところから徐々に徐々にうす寂しい場所に
離れていったのだった。
ある日我々はとうとううってつけの場所を見つけた。
柿畑を一山越えたところに廃墟になったような集落があって、
車も来そうに無いしここ何年も人の手がはいった気配も無かった。
我々は盛り上がった。色めき立った。
ここをおれ達の秘密の場所にしよう。そう言った。
我々の一人が一斗缶の錆びたのを拾ってきて、記念のキャンプファイヤーみたいに、
盛大に火を燃やそう、と言った。
我々は手に手に燃えそうなゴミや紙くずを探してきて、一斗缶に詰め込んでライターで火を点けた。
恐ろしいような焔が沸き立った。
火柱をみたのはあの時が最初で最後だった。
何故あんなことになったかは分からない。しかし火は容赦なく、我々がいた傍らの小屋に燃え移った。
誰が言うともなく、何を叫ぶでもなく、我々は振り向きもせず走って逃げた。誰も一度も立ち止まらずに
がむしゃらに走り続けた。人を呼ぶとか警察に報せるとか、思いつきもしなかった。
走って走って見慣れたコンビにまでたどり着いたとき、我々はどうすることもできなくて全員でわあわあ泣いたのだった。
火事の報道はされなかった。
何日たってもなんの報せも無かった。
我々が咎められることはなかった。それどころか、柿畑の向こう側は、いたって普通の民家が立ち並んでいた。
ふるぼけた朽ち落ちた、あの不気味な廃墟の痕跡は、ついに二度と現われることは無かったのだった。
七