小説「ゆめのさかな」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「魚の出てくる夢ってどんな意味か解るか。」
「ん、ちょっと待って。」
友人は検索魔だ。我々は仕事終わりに遅い昼飯を食べている。
友人はじゃこと青菜の握り飯を片手に持ったまま、左手のみにて器用にパネルを操った。こういうことには有能なのだ。トラックの後ろ窓から回収してきた足ふきマットの山、やま。
「いい夢ですよー。」
ややもせずに友人は話す。
「魚群、魚、金魚鉢、熱帯魚の出てくる夢、だいたい幸運に恵まれる兆しですって。あるいは異性との出会いの予感。」
いいじゃない。と、言う。
「残念ながら僕が愛せるのは同性なんだな。」
「だから私には全くアクションが無いんですね。」
冗談に対して返された冗談を合図みたいにして、我々は食い物殻を始末して残りの回収に戻る。
夢を気にする方でないにしても気になるくらいなのは、最近同じ夢ばかり見る。
見ないと思った日はあまりにも疲労していて、夢にエネルギーを避けないのだろう。
「そのひと」はバスタブで魚を飼っている。
確実なのは「そのひと」はおれじゃない。どこの誰とも知らない。どこの誰とも知らないそのひとが、
水を湛えたバスタブに、鯉だかアロワナだか良く分からない巨大で派手な魚を生かして、なんとも物憂げに
それを眺めている。
おれはまるでPCの画面を見ているみたいに、ただその人の後ろ頭を眺めている。
それだけの夢だ。
だがどういうわけかいつも見るのだ。
賃貸アパートに付いているような安っぽいタイルの浴室で、バスタブの色は冗談みたいな紫だ。
壁と天井は結露でだらだらと冷えていて、そのひとも、寒いであろうに薄い部屋着をつけただけの姿で、
ただ、ただ、浮かぶ魚を眺めている。バスタブの縁に固そうな肘を押し付けて。
おれはそれをじっと見ているのだ。
透けるような薄い皮膚、冷淡にも流れる黒髪、何か言いそうに開いた紅い小さい口元。
その夢はどこか切羽詰った空気を抱えていた。本来なら入りきらない空間に、いかんともしがたい事情で
むりやりに詰め込んだような。
沈没する船から人を逃がすために10人乗りのボートに20人乗せているみたいな。
結局沈んでしまうんだよ。
おれは一杯になってしまいそうなのだった。
床からでも壁でも水が沸いて出てきて、一杯になってしまいそうなのだった。
ある日の深夜、思いがけないコール音でおれは目を覚ました。
枕元に置いた携帯電話が鳴っていた。
「あのね、違っていたら悪いんだけど、その夢に出てくるのが人魚だったら、」
友人だった。
いや、定かでない。もしかしたらこれも夢の一部なのかもしれない。
「ちょっと意味が違ってくるの。こないだ言いそびれたことがどうしても気にかかっていて、どうしても
伝えないといけないと思ったの。
もしその夢に出てくるのが人魚だったとしたら、あなたは変革の望んでいるかもしれない。」
おれは友人の話をもっとちゃんと聞くために電話を右耳から左に持ち替えた。
「人魚の夢は自分の中にわだかまっている過去との峻別を意味しているの。
からだの中に溜め込んでいる老廃物を、チャラにしてしまいたいってことよ。
ねえ、どうして今そんな夢を見るの?
貴方が抱え込んだ過去なんて、一体何十年分になるかわかりゃしない。
そんなもの今更吐き出したって、この後の一体何年がどれだけ変化するというの。
対して変らないわよ。
郵便番号があと一桁増えるのほども変らないわよ。
だのにどうして、貴方はいったい
なんの変革を望んでいると言うの?」
変化を望まずに生きている奴なんて居ない。
王様だろうと神様だろうとみんな何かしら毎日に苛立っているんだ。
おれだって変革を望んでいる。
たとえそれが肉体の恒常性とさほど意味が変らなかったとしても。
今以上に何かが変ることを、望まずにはいられないじゃないか。
おれはそう思っただけで、通話を切って、そしてまた眠りに落ちた。