神輿は「担ぐ」という概念にない | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

祭りの日はいつも雨が降った。覚えている限りだけど。しかしその後がいつも印象深いから
きっとその思い出は確かなんだと思う。
それに後年知ったがそれは田植えが済んだあとに、
今年の豊作を祈るための祭りだったんだから、雨が降ったほうが縁起が良かったのだ。
なんせ田んぼに青い苗が植わっているのだから。
我々は大地とともに生きていた。
我々小学生軍団は、まめしぼり鉢巻にはっぴと何故か首から鈴をぶら下げて
(男子が青い紐、女子があかい紐)
神輿を引きずりまわしては辻辻で盆おどりをして回った。
変なとこつくなよ。祭りで輪になっておどってりゃいつ踊っても「ぼんおどり」じゃないか。
それ以外の言い方は知らないよ。
そのころの我々に
神輿を「担ぐ」という概念は無かった。
我々の神輿はどういうわけか巨大な朱塗りの杯の形をしていて、
紙で出来ていて毎年大人が手作りしていた。
太い綱が前に三本出してあって、我々子どもがそれを引いて村を歩きまわった。
そして雨が降るのだった。
我々はびちゃびちゃになった。毎年。
はっぴは作りが安かったから、必ず色が解けて下に来ている体操着に移るのだった。
我々は雨の中で踊りまわった。
動いてないと震えてしまうのだ。
それに人前でこっけいな踊りを見せるという常に無い緊張と、
雨の中わあわあ言っていることから完全に意識のレベルは非常なハイになっていた。
いいかげん雨が酷くなり、
もうしかたないからこどもらは帰れーと現地解散になる。
私と兄は走って家に帰り、玄関口で「さむいぞー」とどなる。
すると待ち構えていた祖母の命で、この日ばかりは玄関でぱんつまで全部脱いで、
そのまま風呂に直行するのだった。
風呂は、こういうとき、
いつでも温かく沸かしてあった。
濡れた服を脱いで湯船で体を温める、
安堵と開放感で一瞬声が出ない、息が止まる。
ああ今年もやりきったというあの感じ。
あの感じがもう二度とない。
そんなにやりきることがまず無いからだ。

ゆゆさん作よりキャッチボール創作↓
ペパーミントの湯気をまとい、バスマットの上で跳ねる

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しあわせです。