高校3年、受験生だったころ、私はとある京都の大学に激しく恋焦がれていた。
募集要項を舐めるように読んだ結果、
その学校は自分が求めるカリキュラムをすべて備えているように思えて、
おれは絶対この大学に4年間通うんだ!!!
と志を立てて受験勉強に余念無かった。
ところで私の姉はその2年前に父親から
「なんとしてもここの大学に入れ」
と訓示されていた大学に
みごとにすっ飛ばされていた。
そこは福祉に特化した私立で、父はなんとなく
「これからの時代は福祉だ!」
と思っていたふしがあり、手に職をつける意味で姉になんとかそこに入らせたかったみたいである。
しかしやつはあっさりそこにすっ飛ばされてしまっていた。
2年の後。今度は私の大学受験である。
父は3年4月の時点でほぼ進路を固めている私に対し、
「Pちんが落ちた大学、
リベンジでいーちゃんが受けんさい」
とのたもうたのだ。
(ちなみにPちんてのが姉でいーちゃんてのが私です。
父はほんとに50代で急逝するまで二人の娘をこんなふうに呼んでいたのだ)
いまから考えると訳分からなさがはななだしいなあ。
なんで姉がすっ飛ばされた大学に
おれが落とし前つけないかんのだ。
とはいっても、
私としても滑り止めくらい1個は受けときたかったし、
その大学は当時の私の成績だったら訳もなく通るくらいのレベルだったので
(つまり10代のこと姉はわたしよかだいぶあほだったんですね。)
父の言うように素直に受験してなんなく受かったのです。
がしかし
あろうことか私は
あれほど恋焦がれた京都の本命に
あっさりすっ飛ばされたのだ。
これはまさに青天の霹靂だった。
模試でもB判定以下になることもなかったので
まずもって受かると誰しも太鼓判押していたのに
物の見事につるっこけたのである。
これは高校時代それなりに優等生だった私の強大なる挫折であって、不合格がわかって後3日ほどは水も飲めないくらい落ち込んでいた。
でも、
そこから立ち直ったら、
現実に控えている問題はでは一体何処の大学に行くかと言うことであった。
高3の時一部教科なら無駄に成績がよかったので、
関西の某有名私立大学をノリで受験したんだけどここもあっさり飛ばされていた。
(あの時の英語の試験は難しかったなあ。。。)
となると残るは
リベンジ
というわけの分からない理由で受けたあの大学だけである。
あと一年浪人するのは体力的にきつい。
家庭の経済からみても辛い。
よって私は、
一体何を勉強するのかもよく分からないまま
大阪にある母校の大学に進学したのだった。
今でも時々思う。
もしあの時姉がもうちょっと賢かったら。
私の人生はもっと変った物になっていたはずだ。
それをいうなら
私がもうちょっと賢かったらもちろん人生だってもっと違っていたはずなんだけど。