続・感想 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

桜庭一樹著 「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」

どうも気になるので感想二回目。


どうも気になる。

ストーリー展開、人物の個性、主人公の境遇、

波間の魚みたいに見え隠れする狂気、

なす術もなく迫ってくる所謂「現実」


面白い展開なんです。面白い。

しかし一貫して物語の世界にのめりこんでいけなかった。

読書というか映画を見ているような感覚です。

しかも自分があんまり好みで無いのにうっかり映画館に入ってしまったときの感覚。

ああ。失敗したな。でももったいないから最後まで見るか。

網膜の上をつるつる滑っていく彼らの日常。


特に違和感むんむんだったのが

作中に重要な役割を果たす3人の男でした。


主人公の兄しかり、

野球部員しかり、

「そいつ」のオヤジしかり。


自分も普段キャラクター作りを考えるので

この三人に頭抱えるのです。


ここでもってなんでこの動かし方なんだ???


ちょっと仮説を立ててみました。


近未来だろうが異世界だろうが宇宙の彼方だろうが

コミュニティを一個でっち上げてその中で数人の人物にすったもんだしてもらおうと思ったら、

その「世界」の価値基準や法律や社会のモラルや歴史なんかは

ある程度

この自分の目の前にあるたった一つのリアル

をいくらかは踏襲するのではないかと思うのです。


キリスト教にしても仏教にしても

それ以前のユダヤ、ヒンドウの教義から派生しての

今の信仰形態であるように(ざっくり解釈)


フィクションの中の世界もその細部のどこかにはリアルと同じ塩基配列が存在しているものではないかと。


しかし、

「砂糖菓子」の世界にはリアルと同じ遺伝情報が一切ない。

エヴァンゲリオンでさえ遺伝子的に人間と99.9いくらかくらい被っているのに

リアルと一切被っていない世界をでっちあげるのは

これはたいへんなことです。


もちろん書籍の中の世界には

街があって店があって学校があってヒトがくらしているんだけど、

そういう、

意図的に現実とそっくりにつくっていながら

顕かに貫いてたっているものがリアルとはまったく違う。


ユゴドラシルがバオバブの木になってるくらいの違和感。

(分けわかんなくなってきたな)

そしてキャラクターは「市民」を演じながら実はバオバブの規範に従って運行している。

この変が違和感の根拠ではないかと思うんです。


はまる人ははまるんでしょうね。

たまたまもりもとの嗜好にあわないというだけで。


というか

若いヒトならおもしろいということで

単におれが老けただけということだったりして。