3歳児の人間関係再考 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

前回息子(天才)まーくんのちょっとした保育園事情について書いた際、コメントを頂いたことに関して自分なりにいろいろと考えたので再び文章に起こそうと思います。


ネットにて自らの見解を表明

肯定、および否定の意見をもらう

この問題について再考

自らの意見が少し変化する


これはそもそも素晴らしいシステムであるべきです。

コミュニケーションツールとしてのネットが発展したことは思考のアウトプットの果てに再度自己を省みることに対する全世界規模の進歩であるべきです。

べき、とわざわざ書いたのは、当然それ以外のマイナス要因の方がネットを使う上で大きいからですね)それはいいとして。


最初にお知らせしておきます。

もりもとは3歳児しか育てたことがありません。

よって私がここに書く「子ども」という言語の具体例は

概ね3歳児

だと思っていただいたほうがよいかと思います。

小学校、中学校、高校生になると

またいささかニュアンスが違ってくると思いますが、

ここでは人生で2番目に接するコミュニティとしての

「保育園」での人間関係

について考えたいと思います。


2,3歳から始まる人間関係の諍いは

むしろ奨励すべき対人関係だと思います。


これは人間の人生のおける初めての

「攻撃的対応」の記憶です。

パパだママだじいじだばあばだでいいこいいこされて育った3歳児が、

初めて自分に敵意を持つ対象があるということを知る大切な

ショック

です。

この瞬間に自分も「攻撃的」=身体の暴力で対応することが

褒められるべきか、避けられるべきか。

意見は様々に分かれることと思いますが

もりもとはあえて「推奨」のスタンスを維持します。

友達に対して腹をたてて、その結果たたく、噛み付くなどの行為に出る。

これ自体はもちろん良くない事なので本人がちゃんと謝る、

もしくは親もちゃんと誠意を通すことが大切です。


が、

親として、

今後最も危惧していなければならないのは、

自分の子どもがいじめのベクトルのどっちの先にいるのか

ということだと常に考えています。


教育者はどんな時も目に見える身体的暴力に注目しています。

当然目に見えない「精神的暴力」であるいじめには迅速に対処できません。


3歳児の親であるもりもとは

厳密にいじめの現場を知りません。

ですがそこには人間関係の表層に現れない

「精神」が行う凄まじい暴力があるように思えてならないのです。


教室内の人間関係の中で死人を出すことは絶対にいけません。

救われる人間が一人も居ません。

息子がいじめの果てに誰かを死なせたら

私の首を切り落としても話になりません。

息子がいじめによって自殺したら

向こうの一家を焼き殺しても私の気は晴れません。

いじめによって人を死なせてはいけません。

だれも死んではいけません。


この陰湿な精神の暴力に至らないために、

3歳のこの時期に

怒りを感じても暴力に訴えないこと、

殴れば相手が痛いこと

を学ぶことは非常に大切だと思うのです。


単純な発想かもしれません。

ですがこれが

現に3歳の子どもと暮らしている一親としての率直な感想であります。