もりもとと文章の歴史 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

6歳 

 このころになって漸くひらがなを覚える。

 もう、本当にいつまでたってもひらがなを覚えないから父の母   

 親に「ちえおくれじゃないか?」と言われ、それを聞いた父が

 キレる。


7歳(小学校1年) 

 運動会について書いた作文が担任の先生の目に留まり、

 全校集会で朗読。

 その際、女装を披露していた校長先生について堂々と

「きもちわるかった」

 と断言し、ヒーローに。


9歳(小学校3年)

 国語の授業で作った詩があまりにも達者だったため、

 担任の先生から

「パクリ」

 認定を受け、それを聞いた父がキレる。


11~12歳(小学校5、6年)

 クラスメイトが実名で登場する小説を

 一日3ページのペースで執筆し、それなりにウケる。

 しかしその内容というのが、

「エイリアンに体をのっとられた男子が、

同級生たちを次々に虐殺するのに対し

もりもとを中心に立ち向かう」

 みたいなものだったので、

 今振り返るとどうだろうなと思う。


15歳(中学3年)

 誰にも頼まれないのに

 2年の夏休みの起こったことについて

 400×20くらいの作文を書き、

 それを担任の先生が地元の新聞社の中学生コンクールに勝手に出品し、ちゃっかり佳作を取る。

 それを聞いた父がでへでへする。


16~18歳(高校生)

 ただ、ただ、

 勉強もろくにせずに短編小説ばっかり書き綴る。

(世界史の授業が一番はかどった)


19~22歳(大学生)

 これと言った出来事があったわけではないのだが、

 おれはべつに、文章でものになる人間ではないな

 と一人で勝手に悟り、一時文筆から遠ざかる。

 でも、その代わりこの時期に人生で一番たくさん本を読む。

 それと、後に自ら「断片小説」と名づける

 詩とも散文とも、ほんとに何かの断片としか言えない様な文章を

 通算で700篇くらい書く。


23歳(大学院生)

 父の急死につき、

 人生の様々なことが唐突ににっちもさっちも行かなくなる。

 その一連の流れの中で

 世にも下らない修士論文を書く結果になってしまい、

 未だに修論はおれの実家の部屋にあるんだけど、

 あれはもりもとのデスノートである。

(↑開いたら死ぬ)


25歳

 夜、寝入ろうかと言うころに根拠も無く、

「おれは25。これから10年ひたすら文章を書いてもまだ35。

吉本隆明の『10年の理論』にまだまだトライできる。よし、これからとにかく毎日、10年文章を書くぞ」

 とものすごい見切り発車で決意する。

 以来自動書記みたいな意味の無い散文を携帯メールで書きはじめる。


27歳

 結婚→からの妊娠。

 様々なことがにっちもさっちもいかなくなるなか、

 仕事もやめて暇だから、長いものにでもトライするか、と思い

 去年書いた三部作の原型となる

 1200×50の中篇を初めて書く。


28歳(まー君、世に現る)

 産後の肥立ちが悪かったのと、子育ての開始により

 様々なことがにっちもさっちもいかなくなる。

 が、そこは物書きの根性で育児日記は毎日書く。


31歳

 子育ての最初の山場を越え、ようやく本腰入れて長いものを書きはじめる。


こうして見ると、

やはり人生の要所要所でなにがしか書いているんだな、おれは。

大学の時一回筆を折った根拠はなんだったんだろう。

もう忘れてしまった。

あのころ文章を断念することなく書き続けていたら、

今頃もうちょっとはましになっていたろうに、

まあそれは考えてもしかたないことだ。