小説:「博妓伝」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

 女に学問をさせるという奇妙な国のことは、からくにから逃げてきた一人の老官が幼い私に語って聞かせた。

 そのころわが国では、私の父が起こした乱の後土地の豪たる者達はその持てるところを朝廷に召し上げられることとなり、憤懣行き場なしとした彼らによ起きた諸所の反は政も人も伴に暗く疲弊させていた。

 同じ頃、からくににあったとある王家の末王が斃れ、行き場を失った官人の多くが糊口の口を求めてわが国にも多く流れきていた。今私の相手をしている余鶴という老人も、そういった遠島官人の一人だった。

「ひめみや様は、博妓というものを知っておられますか?」

 と余先生は問われた。

「しっておりません。」

 と私は応えた。

「妓とは芸を売る女たちのことなのでしょう、先生。しかしわたくしは博とつくような妓女たちのことをぞんじておりません。それはいかなるものなのですか?」

 余先生の話聞かせる異国の物語は退屈な宮中より他に居場所もない私の大きな慰めであった。私はその頃父のこしらえた離宮より出ることを赦されておらず、書を開き琴を爪繰るだけの毎日は、すでに私を辟易とさせてかなりであった。

「博妓と言うのは、貴人の学問の相手を務める女たちのことでございます。」

 そういって、余先生はもろこしの辺国にあったというある小さな国の名を上げた。その名の奇妙な音はその頃の私には用意に韻することも出来ず、時を経た今となってはすでに摺れて私の頭にない。

「そもそもの初めに普賢頭応というかしこい女人がおりました。この普賢頭応というひとはもとは宮殿の水汲みをするはしためでございました。或る日この普賢さんをからかった公達が戯れに四書について問うてみると、おどろくことにすらすらと答えたと申します。公達は次々に孔子さまのお言葉や文王について問うてみられますに、それらにも違うことなくすらすらと答えたということでございます。仕舞いに公達は呆れて、

『おまえはいやしい水汲みであるに、何故孔子様の言葉を知っているのだ』

 と普賢さんに問いました。普賢さんが答えて申しますには、

『五つほどのころから、時折わたくしの枕元に仏様がお出でになるようになり、これこれとは如何なることか、とわたくしに問われます。わたくしはその度に、存じません、とお答えするのですが、仏様はよしよしと言われて、度にもろもろのことをお教えくださるのです。』

 公達は驚きめでたいことだと覚えられて、普賢さんのことを父であらせる大公の下へお導きになりました。子息から話を聞いた大公は初め疑って居られましたが、ある夜普賢さんに寝役をお申し付けになりました。そして普賢さんにこう申し付けました。

『我が言に違い無く答えてみよ。しからばその身は固いままに返してやろうぞ。』

 普賢さんはこの時も大公の問いにすらすらと答えたということでございます。大公は非常に驚きになり、またお喜びになり、普賢さんの身が固いままに朝まで留め置かれそして

『このものこそは普賢のみ仏のお慈悲なり。』

 としてこの女人に普賢頭応という名をおあたえになりました。これは答応という女官たちの長という意味でございます。

 大公は普賢頭応を殊の他可愛がられましたが、寝役に呼ぶたびに伽をする時間も惜しんで話し込まれたということで、普賢頭応は死ぬまで固い身であったと言われております。

 さて上に立つ方が変ったことをすると、下々のものたちも真似をしたがるものでございます。やがて彼の国で、賢い女童を集めて学問をさせ、貴人の話し相手にさせることが流行るようになりました。これが博妓でございます、ひめみや様。

 どこそこに見目良く賢い女童がいると聞くと女衒が買い付けて、楼に籠めて学問を仕込みます。やがてものになる者が育ったら宴席に出して客の相手をさせました。博妓たちはこのように貸し座敷で働いて居りましたが、中には気に入られて貴人の家へ収まりに行くものもあったようです。輿架という女人もその一人でした。

 この輿架というものは変った子どもで、十の年で自分で女衒に身を売りに来たということでございます。わたしは学問がしたいので、このわたしを売るが、その金を元手にしてわたしに学問をつけてほしい、とその輿架が言ったと言うことでございます。輿架と言う名はその父が輿の担ぎ手だったからついたあだ名ということでございまして、今に元の名は伝わっておりません。ただ輿架、とのみ皆が伝えております。

 さてそれから幾余年の間に輿架は見事に四書五経を習得し、その当意即妙な受け答えがある一人の高官に気に入られました。高官はかの大公が得た普賢頭応のまねをさせて仲間の官悌たちにみせびらかそうと、輿架を自分の邸に引き連れていきました。

 輿架はまこと賢い女で、確かにひとつひとつ問うてみると違うことなくすらすらと答えます。それはまさにかの普賢頭応そのひとのようであるとして、輿架は一時その高官の宴会でひっぱりだこの人気でありました。

 しかし最初のうちは輿架の賢さに気をよくしていた高官も、やがてその旺盛な学意に辟易するようになっていきました。なんといっても輿架は賢すぎたのです。時には高官の答えられない問題にもすらすらと答えを出すほどでありました。高官はだんだんとおもしろくなくなってきました。そして遂に粗相をしたからとありもしない難癖をつけて輿架を女衒に送り返してしまいました。

 意に沿わず女衒に舞い戻った輿架でありましたが、そもそも博妓という者たちは妓女の間で嫌われております。身にもならないものを、おとこのように生意気に、と嫌われておりました。

 嫁家から追い出されて帰って来た輿架は元のように宴会に出ることも出来ず、下働きのはしためたちからは苛められ、自らの身を嘆いて病気になり、やがて死んでしまったということでございます。

 かの国もそれからやがてもろこしの騒乱に巻き込まれて衰退し、大公家も今は無いと聞いております。

 いやはや、哀しいことでございますなあ、ひめみや様。女が智慧をつけるとどうも、哀しいことでございますなあ。」

 そう言って余先生はすでに真っ白い自らの髭をしゅしゅとなぜた。

 私はその時、この老人の後ろに控えているだろうある一人の人のことがはっきりと頭に浮かんだ。

 私をこの離宮に籠めている人。私が嫌いな人。私が智慧を得ないかじっと見張って詰めている人。その人がこの老人を私の元に遣したのだとはっきりと分かった。

 自ら羽を得ようともがいているその人は、私が同じようにして羽を得ることを畏れているのだ。羽を得た私は必ずやその人よりも高く登っていって、その人が私より以前に歩いた跡を、すべて吹き飛ばしてしまうだろう。

私は必ずやこの世の高みに登りつめ、この国の長とも根ともなるだろう。その人はそれを畏れている。ひどく酷く畏れている。

『智慧を得てもかなしくはありません』

 と私は思ったが老人には言わなかった。

『力も得ればよいのですから』

と。